遠望15
康一がロバートの服が入ったリュックを担ぎ、もう一つを美貴に渡しながら、
「はい出来ていますよ。ではすぐに降りますか」
越谷家の四人が階段を降りると沢山の若者がいて、家を見て驚いていた。何人かがスマホを取り出して写真を撮ろうとしていたが廻りに止められてポケットにしまった。撮影は禁止と事前に言われていたのだ。
「随分大勢いらっしゃるのね。何人いらっしゃるの?そんなに大きい籠なの?」
合羽を着込む美貴を後ろから手伝いながら由季子が三宅に聞いた。
「十六人です。大きい籠ではありません。前二人、後ろ二人の四人で担ぐのですが二つの籠ですので疲れた時の交代要員として八人が控えています。みんな普段から足腰は鍛えていますが、担ぐことには慣れておりませんので」
ロバートが大きな声で挨拶をした。
「みなさん、おはようございま〜す」
大きく響く声に十六人が声を合わせて返したので山全体に轟き、ロバートは拍手して喜んだ。
「僕と奥さんの由季子さんの為にありがとう。由季子さんを担ぐ人は良いけど、僕を担ぐ人はゴメンナサイね。重いよ〜」
全員が一斉に笑い、一瞬で気持ちが一つになったように感じたのを見てロバートの魅力は誰にでも伝わる事を三宅は確信した。
「実は彼らに越谷家の皆さんの話しをしたのはここへ来る車中で初めてしたのです。明後日の記者発表までは誰にも話さないようにとの約束もしてもらいました」
大きな体を深く曲げてロバートが叫んだ。
「みなさ〜ん、約束は守りましょうね〜。誰かに話したくなったときは今いる隣の人に話しましょう。隣の人は初めて聞くみたいな顔して下さいね。僕も一緒にいたじゃないか、とは言わないようにね〜」
また全員が一斉に笑うのを見て、記者発表もこのような和やかな雰囲気で出来るのかも知れないと三宅は感じ、加藤が「人の心を掴む魅力があるよな」と三宅に囁きカメラを廻した。
「あら?」と美貴が廻りを見回して、
「大筒さんは?まだ上っている最中?」
と、姫野の耳元に囁いた。
「違うの。下の車の中で待っているの」
「大筒さんは今朝から膝がガクガクして歩けないんだって。日頃の運動不足のせいだね」
三宅が両手をお腹の前で膨らませるようにして大筒の出っ張ったお腹を表現してみせた。
学生たちがロバートと由季子を籠の前に案内すると二人は目を丸くして驚いた。パイプで組まれた籠は軽くする意図もあるのだろうが、天井と壁の部分が透明のビニールになっていた。
美貴が籠の廻りを歩きながら、
「お爺ちゃん。これなら全部見えるね。良かったね」
ロバートの乗る籠は由季子の籠より一回り大きく出来ていた。籠に乗り込もうとしたロバートが振り返って学生たちに話した。
「みなさ〜ん。雨の日の山道を降りる時は、かかとから先に降ろすように歩くと滑りにくくなりますよ。覚えておいてね〜」
「分かりました〜」という声が響き、二人は籠に乗り込んだ。
ロバートの乗った籠が先に立ち上がり降りていった。足元が一切震える事が無く、足腰を鍛えていることがよくわかると思いながら三宅は後についた。
五分程してロバートの右後ろを担いでいる学生が「よし交代しよう」と号令をかけると、二つの籠が降ろされ担ぎ手全員が代わった。
「大丈夫ですか?かなり重いんですか?」
予想以上に早い交代に三宅は不安になった。
号令をかけた学生はこの山岳部の主将でがっちりとした体格をしていて息も乱れておらず平静に答えた。
「ロバートさんの体重と籠、会わせて約百キロだそうで一人二十五キロなので軽くはありませんが手で持つのではなく、重さを分散する肩当てが効いているので意外と大丈夫です。僕らは山岳部なので普段からボッカ訓練と言って、十〜二十キロの荷物を背負って歩行訓練をしているのですが、担ぐのは慣れていないので肩が痛くなる前にこまめに交代した方がいいと判断しました。三宅さん、大丈夫ですよ。安心して下さい」
彼の的確な説明に感心していると、聞いていたロバートが拍手をした。
担ぎ手が代わり、歩き始めると主将が三宅に話しかけてきた。
「三宅さん、いくつかお聞きしてもいいですか?」
真っすぐな目で見つめる彼に好感を持ちながら、
「答えられる範囲なら良いよ」
と彼の目を見て答えた。
「みんなも聞きたいと思っていると思うんです。ここへ来るまでの車中でロバートさんご夫婦が数十年住んでいた家を出られて明後日記者発表をされることは聞きましたが、ロバートさんは何をされた方なんですか?」
二人の後ろを歩いている康一と美貴が笑っている声が聞こえた。
「ゴメン、今日はその質問には答えられないけど、記者発表を見てね。きっと驚くよ。サインを貰っておけば良かったって思うかもよ」
「え〜、ヒントだけでもお願いしますよ」
籠の中にいるロバートの肩がヒクヒク動いているので笑いをこらえているのが分かった。
「ん〜、ヒントかぁ。ロバートさんはね、タイムトラベラーと言ってもいいかも知れないんだ。君たちが担いでいる籠がまさに現代に帰ってくるタイムカプセルになるんだよ」
「ウッソー!!!」
主将の思わぬ大きな声に学生たちの動きが一瞬止まった。
「お〜い、みんなぁ。僕たちが今担いでいる籠は現代に戻るタイムカプセルなんだって〜。意味は分かんないけど、なんだか凄くない?」
担いでいる八人は手に力が入り、控えている七人が手を叩いた。
「えっともう一つ聞きたいんですが、あの家。あの森のような、山の一部のようなトトロが住んでそうなあの家。すっごい感動したんですけどあの家はロバートさんが作ったんですよね?」
「その質問にはしっかりと答えよう。あの家はね」
「あの家は?」
「あの家は、大工さんたちが作ったんだ!」
「え〜、ウッソー!!!」
両手を空に突き上げて大げさにガッカリしてみせる姿に、耳をそばだてていた学生たちが笑った。
「最後まで話しを聞きなさい。あの家を建てたのは大工さんたちだけど、森のようにしたのはもちろんロバートさんだよ。植物の種を混ぜた泥だんごを家の壁や屋根に投げたんだって。それが十数年であんな凄い家になったんだって」
「へぇ〜。十数年であんなになるんですね〜。写真撮ってはいけないって言われていたので我慢したんですが、撮りたかったなぁ。あ、五分経過した。交代で〜す」
担ぎ手が入れ替わり籠が進み始めると、
「この先はこれまでよりも勾配がきつくなるのでみんな慎重に足を進めて下さ〜い」
全員の「は〜い」という返事に、お茶目なところがありながらも真面目な性格が慕われている様子がうかがえた。
「うちのカメラマンが動画だけではなくスチールでも撮ってあるから、ロバートさんの許可が貰えたら君たちにあの家の写真をプレゼント出来るよ」
そう言うとロバートが指でオーケーのサインを出した。
「ロバートさんの許可が貰えたので全員に差し上げます。来週以降に会社の受付に取りにきてね」
「ありがとうございます」
十六人が声を揃えて返事を返したのが心地よかった。
山の下近くまで降りてきて、これが最後の交代になると主将が号令をかけた。
熱いお茶を入れた小さなポットを籠の中に手渡して美貴が聞いた。
「お婆ちゃん、おうちから随分降りてきたけど、どう?」
「おうちの廻りとは植物が少し違うわね〜。うっそうとしてて日差しが弱いからかしら緑が薄い感じね。それより本降りにならなくてよかったわね。多分、下に降りた頃に一気にザーッと来ると思うわ」
籠が動き出した。終わりがみえてきたからか学生たちの足も軽やかに感じられた。梅雨寒の山は寒く感じていたが、車内で配られたというペットボトルの水は全員がほぼ飲み干していた。
「みなさ〜ん、もうすぐ下に着きます。あとちょっとですので頑張って下さい」
美貴の透き通る声は学生たちを奮い立たせた。
「美貴さ〜ん。下に着いたらアドレス交換してもらえますか〜」
主将の叫びに全員が、
「お願いしま〜す」と声を合わせた。
「今はそれどころじゃないのでまた今度お願いしま〜す」
美貴のあっさりした返事に「え〜〜」という落胆の声が森に響いた。
長く続いた勾配が終わり平坦な道に出た。靴の裏に反発するアスファルト舗装の感触が山を降りたと実感させてくれた。駐車場へ着き籠から出てきたロバートが学生たちに拍手をすると続いて出てきた由季子も頭を下げながら拍手をした。康一も美貴も、三宅と姫野も、待っていた大筒も拍手で十六人をねぎらった。
「なんとか雨が保ってくれて、二つの籠ともに滑る事無く無事に降りる事ができてホッとしています。初めての経験でしたが山で怪我した仲間を降ろす訓練にもなったと思います。後は、明後日の記者発表をテレビで見てロバートさんが何者なのかを知って肩の荷を下ろすか、もう一度背負うことになるのか様子を見たいと思います」
山を降りながらずっと考えていたのだろうか、主将のひねった挨拶にみんな笑った。
康一の発案で全員で記念写真を撮った後、学生たちは乗ってきたバスで帰り、ロバートたちは待機していたマイクロバスに乗り込んだ。
「大筒さん、足大丈夫ですか?膝がカクンカクンってロボットの歩き方みたいで笑っちゃった」
美貴の遠慮のない突っ込みに脂汗を拭きながら、
「全く情けない限りです。ベッドから起きて会社に着くまで、生まれたばかりの子鹿のような歩き方で膝に力が入らずワナワナと。まぁ、それはそうと康一さん、今晩は皆さん康一さんのご自宅に泊まられるということですよね。会社に近いホテルは仮抑えしておりますのでいつでも利用出来ますが」
パウラと一緒に一番後ろの座席に座っている康一は急に降り出した大粒の雨に気を取られて大筒の言葉が耳に入らなかった。美貴の「お父さん!」と呼ぶ声で我に返り、
「え、あ、そう、そう。ホテルよりも我が家が一番ですし、親父とお袋もそのほうが気兼ねなくのんびりできるので。と言っても、のんびりできるのは明後日までかも知れませんが。その時はそちらにお世話になります」
筋肉痛もあり、揺れる車内では足が踏ん張れないので、座ったまま体を百八十度曲げて大筒は答えた。
「大勢の取材陣がご自宅へ殺到しましたら、警備員などは我が社で手配致します。我々も取材する側ですので完全にシャットアウトすることは出来ませんが、ご近所に迷惑にならないように自制するよう伝えます」
「お願いします」と康一は答えて外の雨へ視線を戻した。
遠望16へ(4月23日)続く。1から読みたい方はこちら。