◇第1回「ご挨拶」
みなさん、はじめまして。キャリアコンサルタントの糸井です。
このマガジンでは、「キャリア」に視点を置きながら、読み手のみなさんのこれからの社会人人生に、少しでもお役立て頂けるようなコンテンツを色々な角度で綴っていきたいと思います。(特に、学生の方なら就活に、既に社会人の方ならばこれからの人生に、という感じです)
話を進めていく前に、「お前は誰だ!?」とならないように、恐縮ながら自己紹介から・・・
ミツイワの人財開発部(採用と教育を担当)に所属する40代のオッサン課長です。
趣味はスポーツ(ラグビーとテニス)、ゲーム(プレステを愛する)、旅行(海外に早く行きたい)などなど。ブランド物などは要らないのですが、欲しいものが多く、「欲しいな~」の発言都度、妻に怒られているという(笑)
それはさておき。
職業(社会人)キャリアでは、何だかんだ20年を過ぎました。
私は、2002年に都内の私立大学を卒業し、アメリカの大手IT企業でSE(システムエンジニア)として社会人のスタートを切りました。当時は「モノヅクリ」だの「英語(好きで勉強はしていましたが、帰国子女では決してありません)」という、ある意味安直な理由で仕事を選択していた事実もあった訳
ですが、根幹には、「人を支援し、人の役に立つ人間になる」という「ぶっとい幹」のような軸がありました。
若い方だとピンと来ないかもしれませんが、私が就活をしていた2001年当時は「氷河期」とか言われていた暗黒時代で、今のように企業から「来て!来て!」なーんて言われません。むしろ「え?来ないでくれる?」くらいのイメージでしょうか。いわゆる買い手である企業側優勢の採用市場だった訳ですね。
(今のような候補者優勢の売手市場もそれはそれで選択に苦労するでしょうけど。)
私は運よく就職できましたが、できずにニートになったなんて人も多くいたと言われています。一歩間違えれば自分もそうなっていたかも・・・コワ
話を戻しますと、私は大学で経済学を学んでいた訳ですが、今からすればITローテク時代だった当時に、ド文系野郎がITのSEという道を選ぶのは、人によっては少々アウトローっぽく映っていたかもしれませんね(余談ですが、今の時代は文系も理系もありませんけれども。理解は未だされ難いところ
が辛いですが・・・)
SEは確かに大変な仕事でした。SEと言ってもお客様の対応をしつつ技術をしつつのSEでしたし、お客様が大手金融という事もあって何事も厳しい・・・四苦八苦しながら日々を送っていたのを今も覚えています。外資系だから海外にバンバン飛んでいく、なんてことはありませんでした。本当に国内で
仕事するだけ。学生時代の描いた夢・憧れの一端が早々に崩れる。
何とか3年半ほど続けていましたが、父の死という、まさかの事態に遭遇してから人生を考え直し、冠のついたところの子会社IT企業へジャンプしました。そこから職種も変えて人事(人財開発)職の職業キャリアがスタートします。
外資系から国内企業、文化・環境の違い、仕事の違いなどなど、戸惑う事ばかりでしたが、意外にも英語の勉強をしていたことに白羽の矢が立ち、海外ベンダーの人事システム導入プロジェクトをリードすることになりました。というと、聞こえは良いですが、やることは泣きの日々、迷いの日々。それでも導入後のご褒美にニューヨーク出張に行けたことは深い想い出です。
それから今の妻に出会い、マイホームを購入するなど、30代になってライフイベントが色々と発生しました。どことなく順調な聞こえがしますが、その後、会社業績の大幅な不振・不調、上司によるハラスメント、自らのありたい姿を奪われたジョブチェンジの強要といった不測の事態が次々発生し、6年半ほど過ごしたその会社から再度転職を志す事になった訳です。
(結局、去った後にその会社は他社に吸収されてなくなっちゃいました)
更にそこから現職であるミツイワに至るまでの4年半(私個人はMid 30 Crisisと呼んでいます(笑))は一生忘れない挫折と苦労の連続でした。外資系の新興医療系企業、グローバルITセキュリティ企業と渡り歩いていきましたが、中で巻き起こる数々のストーリーが自分にチャンスや学びを与えてくれる一方で、働く人の考え方、文化、環境、仕事における自身の立ち位置、周囲からの目や評価、人間関係等の変化がより一層リアルに感じられるようになっていきます(ネガティブな意味でも)。
それだけではありません。年齢を重ねていく中で、仕事以外のあらゆる世界(家庭、余暇の過ごし方、学習の必要性、地域活動などなど)においても、良くも悪くも変化が起こっていきます。なるほど、これが社会人になったばかりのあの頃、入社式で偉そうな人が「君たちはこれから社会に出て自ら責任をとっていくことになるわけです」ということなのだなーと。納得です(笑)
結局、前職に留まることに意味をなくし始めた30代半ば過ぎ、これからの職業人生において「ぶっとい幹」をどう実現していくか悩みました。それはまるで、大海原に突然放り出されたような、そんな気分でした。
ある日、ふとよく考えてみればこれまでの私の職業キャリア(社会人経験)自体がぶっとい幹に通じるものにならないかと考え、専門の勉強をする術を調べていた際出会ったのがキャリアコンサルタント(当時国家資格化されておらず、キャリアデベロップメントアドバイザーという民間資格←現在もありマス)でした。
資格は資格でしかなく、実践で活用できなければならない訳ですが、資格と知識と経験を有することで活動の幅を広げていこうと志したのです。
その後、最後と思って臨んだ転職は、自然とキャリア開発の道を切り開けるところにフォーカスしていきました。最後は現職であるミツイワでの人財開発の仕事と某大学職員の仕事の何れかにて、前者を選択するに至った次第です。ミツイワでは個別のキャリアカウンセリングから大学におけるキャリア講義、社内のキャリア研修講師など様々な活動機会を頂いております。また、月日は流れ、今ではマネジメント領域にも携わらせて頂く事になり、まあ・・・これはこれで勉強と苦労の日々な訳ですが、結局これも経験しないと将来、マネジメントの立場の人にキャリアカウンセリングできませんからね(笑)そう思って日々精進です。
・・・という、雑多ながらこういう人生を歩んで参った者です。
「おまえ何回転職してるんだ!」
「自分のキャリアカウンセリングしろよ!」
「大手を退職するなんてもったいない!」
などなど、様々なご意見・ツッコミがあるかもしれませんが、結局、私はこういった過去の職業キャリアの連続が今に繋がっており、そして今が一番幸せです。それもこれも、あの「ぶっとい幹」のおかげ。寧ろそれがなかったら、これまでのような転職も無かったでしょうし、壮大な人生の海で溺れ死んでいたかもしれません(苦笑)これはこれからも決して変わらないでしょう。
第1回目から長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。
次回からは、よりみなさんにお役立ていただける内容をお届けして参ります!
今後もよろしくお願いします。