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本能寺の変 1582 信長の台頭 6 287 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

信長の台頭 6 三好の絶頂 

飯盛山城、開城。

 安見宗房は、力尽きた。
 堺へ逃れる、

  安見美作守も、力を落とし、
  十月廿四日、城を明け渡し、堺え、ひら(開)かれければ、

高屋城、開城。

 畠山高政、降伏。 
 同じく、堺へ逃れた。

  高屋城も、こらえか子(ね)、
  畠山高政も、遊佐河内守も、あつかひ(噯)にし、)にし、
  城を明け渡し、堺え、開き給ひけり、

三好長慶は、飯盛山城に入った。

 長慶の、新たな居城となる。

  同十一月十三日、三好修理大夫長慶、則ち、飯盛城え入城あれば、

三好実休は、高屋城に入った。

 以後、この城は、阿波の三好家(実休家)のものとなる。

  同日、備前守入道実休も、高屋の城え入城ある。
                         (「足利季世記」)


          ⇒ 次回へつづく



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