本能寺の変 斎藤道三の下剋上 2 159~160 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
斎藤道三の下剋上 2 光秀と長宗我部元親
*159~160は、バックナンバーです。
159 長宗我部元親
土佐に、長宗我部元親が生まれた。
元親は、光秀を仲介者として信長に誼を通じた。
元親と本能寺の変。
長宗我部氏の先祖について。 「元親記」
160 カタバミ
長宗我部氏の家紋について。 「元親記」
元親は、長宗我部氏の二十一代目という。 「元親記」
幼少期の元親について。 「土佐物語」
⇒ 次回へつづく
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