本能寺の変 1582 光秀という男 3 106 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
光秀という男 3 土岐氏
光秀にとって、土岐頼康は憧れの人だった。
光秀の明智氏は、土岐氏の一族。
頼康は、遠い先祖筋。
しかも、全盛期を築いた人物。
一族の誇りだった。
光秀が、その名を知らぬわけがない。
幼い時から、幾度となく、聞かされたことだろう。
光秀には、頼康と相通じるものがあった。
光秀は、文武両道の人。
武人としてのみならず、風流の道にも通じていた。
正しく、土岐頼康と同じではないか。
心の支えとしていたものと思う。
土岐氏は、土着性のきわめて強い一族だった。
土岐氏は、鎌倉期に、美濃に土着した。
そして、天文の終わり頃、斎藤道三によって、土岐頼芸が追放され、
その美濃支配は終焉した。
すなわち、土岐氏は、1200年代から、1500年代にかけて、
300年以上の長きに亘って、美濃に君臨していたのである。
土岐氏は、一族の結束が強かった(桔梗一揆)。
その間に、多くの庶流が枝分かれし、美濃の各所に定着して、
「土岐一揆」といわれる強力な武士団を形成した。
これが、土岐氏の軍事力の中核となった。
土岐氏の家紋は、「桔梗」。
それ故、「土岐の桔梗一揆」とも呼ばれた。
土岐氏は、一族の数が多い。
明智氏・浅野氏・饗場氏・池田氏・石谷氏・一色氏・揖斐氏・今峰氏・
植村氏・大桑氏・大竹氏・小里氏・金山氏・金森氏・神戸氏・島田氏・
菅沼氏・仙石氏・高山氏・妻木氏・遠山氏・蜂谷氏・原氏・肥田氏・
深沢氏・舟木氏・世保氏・・・・・等々。
明智氏も、その様な家の一つだった。
土岐氏は、清和源氏。
美濃源氏の嫡流家。
室町幕府の重鎮。
濃・尾・勢、三ヶ国の守護家。
正に、名家名門。
光秀は、土岐明智の出。
体内には、土岐の血が脈々と流れていた。
⇒ 次回へつづく
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