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本能寺の変 1582 信長の台頭 4 275 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

信長の台頭 4 光秀と長宗我部元親 

元親の、土佐統一は、ここから始まった。

 永禄三年(1560)~天正三年(1575)。

そして、四国統一へと進展する。

 最大の敵は、阿波の三好氏。
 信長の敵も、これに同じ。
 両者の利害が一致した。 

その過程で、光秀との絆が生れる。

 これが、天正六年(1578)のこと。
 以来、同十年(1582)までつづく。 

元親は、本能寺の変の重要人物の一人である。

 光秀の行動に、大きな影響を及ぼした。
 注目されたい。

以上、これらについては後述する。


           ⇒ 次回へつづく


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