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本能寺の変 1582 はじめに 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

はじめに 

ただただ、真実を知りたい。

 生あるうちに。
 立つ鳥「悔い」を残さず、です。
 この一念が原動力になっています。

「天正十年1582」

 光秀は、何故、あのような大事件を引き起こしたのだろうか?
 光秀ほどの人物が、・・・・・。
 主君信長を、・・・・・。
 あの時点で、・・・・・。
 一体、何があったのか?

「本能寺の変」

 そこには、確とした理由があったはず。
 誰もが納得しえる明確な理由が、・・・・・。
 「もし、自分が光秀だったら」
 「やはり、そうしただろう」
 との、思いに至るほど強い理由が、・・・・・。

「その原因・動機を究明する」

 人生には、限りがあります。
 残された時間は、それほど長くはありません。
 この一点に、焦点を絞りました。
 以来、二十有余年。
 これに、全力を集中。
 信頼性の高い史料を厳選し、それらを精査・検証等々。
 一つずつ、「史実」を積み重ねて参りました。
 「虱潰し作戦」、です。
 これまでに蓄積されたデータは、膨大な量になっています。
 それらを編年形式で整理(年月日順)。
 それぞれに注釈をつけ、分かりやすくまとめました。
 当時を知る上で、きわめて重要かつ貴重な史料ばかりです。
 可能な限り取り上げました。
 視点を変えれば、見える景色も違ってきます。

信長とともにあった十五年。

 永禄十一年1568~天正十年1582。
 「天下布武」           
 その中で、光秀は大きな役割を果たしました。  
 光秀を知るためには、信長を知らなければなりません。
 そこから、見えてきた新たな史実の数々。
 
 そして、ついに辿り着きました。

『光秀記』

 これが、謀叛の真相です。
 
 信頼できる史料を随所に取り入れました。
 真実を知るためには、「生の声を聞くこと」=「史料を読むこと」です。
 現代文に訳して置き換えただけでは、歴史的背景・その場の状況・感情・
 空気感等が正確に伝わりません。
 「当時も今も、同じ日本人」
 「それも、わずか数百年前のこと」
 なの、です。

 そこで、難解部分には、ふりがな・注釈をつけ加え、句読点を入れ、
 改行・余白をとる等、工夫をこらしました。
 できるだけ、簡潔に・読みやすく・分かりやすく、仕上げたつもりです。
 是非とも、これらの史料を御一読の上、当時の雰囲気・臨場感を感じ取っ
 ていただきたいと思います。
 
 只今、最終仕上げの段階に入っています。
 「乞う、ご期待!!」

 何しろ、長大な内容になります。

『本能寺の変 1582』

 は、
 『光秀記』をベースにして、より分かり易く、よりイメージし易く、
 するために、別途、構成されたものです。
 Noteは、その概要を説明する案内版になります
 現在進行中につき、少しずつですが、可能な限り頻度を高め更新して
 いきたいと考えています。 
 
 なお、以後につきましては、新たな史料の発見等により、内容の一部を
 修正・変更する場合もあり得ますことを、予め御断りしておきます。
 
 以上を御理解の上、今後ともよろしくお願い申し上げます。
 
                           運営者 拝

          ⇒ 次回へつづく

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