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本能寺の変 1582 光秀の苦悩 6 91 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

光秀の苦悩 6 守るべき者 

光秀の悩みは、尽きず。

 否、そればかりではなかった。
 正に、多事多難。
 他にも、難題が山積していた。
 そのような時期だった。

 一、四国、長宗我部の問題。
 一、秀吉の躍進。
 一、中国出陣の意味するもの。
 一、国替えの問題。
 一、
 一、
 一、

 これらについては、後述する。

光秀は、多くの悩みを抱えていた。

 それらが複雑に絡み合っていた。
 その先に、中国大遠征を控えていたのである。 

光秀の心は、重く沈んでいた。

 
          ⇒ 次回へつづく 



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