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本能寺の変1582 目次中 信長の台頭 2尾張統一 245~253 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次中 信長の台頭 2尾張統一 245~253  

245 永禄二年(1559)。三好長慶が上洛した。     「言継卿記」
246 三好は、全盛期を迎えていた。
   三好義興は、長慶の後継者。
   長慶は、有力な弟たちに支えられていた。
247 信長、上洛す。                 「言継卿記」248 斎藤義龍が信長を暗殺しようとした。       『信長公記』249 これが信長の知るところとなった。        『信長公記』250 義龍の企ては、失敗した。            『信長公記』
251 信長は、八風越えにて清州に帰った。       『信長公記』
252 岩倉落城の事。                 『信長公記』
253 信長は、岩倉城を攻略した。尾張統一、成る。   『信長公記』

目次 1~317

目次中 信長の台頭
1信勝謀殺 
240~244
2尾張統一 245~253
3桶狭間  254~273①
3桶狭間  254~273②
3桶狭間  254~273③

目次小 信長の台頭
1信勝謀殺 
240~244
2尾張統一 
245~253
3桶狭間  
254~273①
3桶狭間  
254~273②
3桶狭間  
254~273③

信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。


          ⇒ 次回へつづく


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