本能寺の変 1582 光秀という男 3 101 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
光秀という男 3 土岐氏
土岐氏は、清和源氏の一流である。
すなわち、清和源氏 ― 摂津源氏 ― 美濃源氏という流れになる。
以下、その血脈を示す(①~⑦)。
①清和天皇―貞純親王―経基
この経基が源姓を賜った。
初代である。
②源経基―満仲―頼光
源頼光は、摂津源氏の祖とされる。
頼光は、摂津国多田荘(川辺郡)を本拠とした。
このことから、摂津源氏と呼ばれる。
土岐氏は、美濃源氏の嫡流家であった。
また、二度、美濃守に任じられた。
したがって、美濃に強い基盤を有していた。
それが代々に受け継がれ、さらに強固なものになった。
これが美濃源氏である。
③源頼光―頼国―国房―光国―光信―光基―光衡
⇒ 次回へつづく
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