本能寺の変 1582 光秀の苦悩 2 16~17 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
光秀の苦悩 2 志向の相違
*16~17は、バックナンバーです。
16 世界は、大航海時代であった。
信長の目は、海外を見ていた。
信長の、「さらなる夢」。 『日本史』
17 光秀は、信長の「さらなる夢」を知っていた。
光秀の坂本城は、安土城の対岸にある。
光秀には、妹の妻木氏がいた。
妻木氏は、信長の側近くに仕えていた。
光秀は、妻木氏失った。
妻木氏は、信長と光秀を繋ぐパイプ役だった。
光秀は、大きなダメージを受けた。
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