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本能寺の変 1582 光秀という男 3 102 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

光秀という男 3 土岐氏 

土岐氏は、鎌倉期に美濃に土着した。

 光衡の代に、土岐郡に住み着いたらしい。
 一日市場(ひといちば)に居館を構えたという(瑞浪市土岐町)。

光衡が土岐氏の初代とされる。

 以後、この住地を氏名とした。
 
 ④土岐光衡―光行―光定―頼貞

土岐頼貞の時、初めて美濃の守護になった。 

 頼貞は、鎌倉末期~室町初期の人物である。
 元弘三年(1333)。
 倒幕に参加。
 足利尊氏(1305~58)に加勢、軍功をあげた。
 これにより、美濃の守護に任ぜられた。
 
 ⑤土岐頼貞―頼遠―頼康―康行

以来二百余年、土岐氏は美濃の守護を歴任した。


          ⇒ 次回へつづく


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