本能寺の変 上総介信長 3 195~198 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
上総介信長 3 三好長慶の下剋上
*195~198は、バックナンバーです。
195 三好長慶が軍勢を率いて上洛した。 「言継卿記」
長慶は、将軍義輝と敵対関係にあった。 「言継卿記」
三好軍が霊山城を攻撃した。 「言継卿記」
幕府軍が敗れた。 「言継卿記」
義輝は、山中へ逃げた。 「言継卿記」
細川晴元は、戦わずに、撤退した。 「言継卿記」
196 長慶は、将軍義輝を追放した。 「言継卿記」
長慶の下剋上である。
信長の下剋上は、丁度、この20年後に起きる。
197 義輝は、山中を彷徨った。 「言継卿記」
長慶は、義輝に従う者たちの領地没収を宣言した。 「言継卿記」
義輝に、付き従う者四十人。 「言継卿記」
義輝は、朽木へ落ち延びた。
198 長尾景虎が上洛した。 「歴代古案」
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