小池一子さん・巻上公一さん・永田砂知子さんとのミニパーティー②
小池一子さんが、巻上さんと永田砂知子さんの演奏に誘われるように降臨。そして、小池さんのお話を聞くパートがスタートしました。
小池さんは1990年代に、江東区の食糧倉庫をリノベーションして、佐賀町エギジビットスペースを創設。様々なアーティストを紹介するオルタナティブスペースでした。
この場所で、カフェのもととなった我が家「Soft and Hairy House」を設計したウシダ・フィンドレイ・パートナーシップ(牛田英作+キャサリン・フィンドレイ)はインスタレーションを開いたのです。写真が残念ながら見つからないのですが、大きな曲線の迷路のようなインスタレーションで、会場には不思議な巻上さんの声がずっと流れていました。わが家が完成して間もなくの頃でした。
小池「佐賀町エギジビットスペースで、1994年でしたか、展覧会をさせていただいたご縁で今日もここにおります。キャサリンとは2008年ぐらいに、ちょうど私がロンドンでゆっくりしてたときに、電話で話したのが最後になってしまいまして。キャサリンに初めて会ったのは、彼女が、東大の若い女性建築家である教師に決まった頃だったと思います。」
「なんていうのかな。ちょっと物憂げな悲しさの表情のある人だったんですよね。髪の毛を束ねていて、それがいつも緩やかにたわんでいて、よく自転車で動き回っていて、佐賀町の展覧会も必死に作り上げてくれました。」
「全く貧しいデザイン事務所で佐賀町をやっていたものですから、なかなか展覧会作りにお金がなくて。私たちに何ができるだろうって彼女とも話しまして。私は青山でキチンというデザイン事務所をしていて、そこがいわば佐賀町を支える形になってたんですけども。キチンの仕事として何らかの利益を作り出したら、それが展覧会の制作費に入るじゃないなんていうやりくりをいたしまして。それで青山のお寺さんの境内に私たちの事務所があったんですけど、そこはですね、ちょっと何か冴えた銀座のビジネスウーマンだった人が外国人のため、あるいは海外から帰ってきた日本人の生活ができるようにってちょっと文化住宅的な二軒長屋だったんですよね。そこを最初に三宅一生さんが事務所に使い始めて、私たちも次にちょうど空くから使う?って言われて、そうですね、その渋谷区の木でもとても大事な古い木なんかが植わっている中にあって、キャサリンはそこが好きでよく来てくれてたんですけれども。
さて展覧会を作るのに、94年ですね。何らかの経済を捻出しなきゃっていうので、そのキチンの事務所がキャサリンに発注をして、そこのデザイン料をまず道具代にっていう悪知恵を働かせたんですよね。
そのモダン二軒長屋なんですけど、そこの入口を、木で壁のあったところを壊して、そして鉄の枠を作りまして、ガラスにまだガラスのドアっていう。そのときにも鉄の仕事もこの人でなきゃっていう、優秀な方に頼んで作ってくれました。その時に例えば、40,50万の材料費を作り出して展覧会を作るみたいなことになったんですね。」
「やっぱり考え方の中心は『自然界には、直線はない』。そういう考え方はとても単純な言い方なんですけども、ただその考え方って、その頃に、湯川秀樹なんかも盛んにそう言ってるんですよね。
直線っていうのやっぱり人間の合理性みたいなものが作り出したのであって、自然は直線を作ってはいないっていう考え方が一方にあると思うんです。」
「展覧会のタイトルは、『経験の形態学』っていうことにしたんです。会場に、大きな円形の造作物を作って、その中に入って、中の展示物を見る。その時に巻上さんにもいろいろパフォーマンスをしていただいたりしました。」
「それでね、とっても大事だなと先ほど思ったんですけど、今日みたいな音楽があったり人々が話したりって、そういうことを本当キャサリンは大事にしていて、その頃の様々なメモとかデータを見ていますと、その頃に日本東京で活躍していた演出家のデボラ・ディスノーとか、その後ハリウッドで活躍した女性たちもいたんですけど、そういう人たちを巻き込んで、キャサリンが作る空間では、いろんなジャンルのことや動きがあったりっていうことはしてきたように思うんですね。
入っていくところに寄りそう細い金の作みたいなものを全部きれいに柔らかい曲線で囲ってあったり、いろんな細やかな彼女のフォルムっていうのかな、そうしたものを感じられる場所だと思います。」
「先ほどのエントランスのことなんですけど、普通の日本の民間の住宅みたいなところに、ガラスの両サイドに板があり、金物のドアを作ったのを、私が佐賀町をやってた頃だったので、いろんな人たちの交流があって、ちょうどロンドンからイギリスの鉄道王みたいな方の奥さんがいらして、それからね、6年目ぐらいかな、その方のブライトンの別荘にキャサリンを呼んで、プールハウスを作る。プールハウスを私も見に行ったんですけど、普通のプールに、天蓋のように屋根がかかってるんですけど、それが見事な萱屋根で。だから、日本の原風景みたいなものも感じられるし、ああいう発想というのは、キャサリンって本当に自然見ているなと感心したのを覚えています。」
「キャサリンと最後に話せたのは2008年の頃だったかな。実力はあるけれども、厳しい建築家生活だったと思いますが、スコットランドの文化センターの大きいのをちょうど作ってるときで、もう本当に元気いっぱいの声で話してくれたのが最後でした。キャサリンの『自然界に直線はない』っていう、私はそういう言葉で覚えてるんですけれども、そのことは本当に、自然を見るといつも思い出します。」
「キャサリンについて皆さんがもし思ってくださるんだったら、そういうことが、彼女の創作の源泉にずっとあったんじゃないかなっていうのをちょっと思い出してほしい。
まさに今日の午後はそうなんですけど、町田の家でも、そこで何かが起きるっていうことをすごく楽しんでいた人だから、パフォーマンスであったり音楽であったり、あらゆる人々の会話だったり、そういうことが楽しい時間のようなものが、こういうところでまた続いていくっていうのは、それこそ本当にキャサリンが作り出して、ずっと続けていってほしいことだなと思います。」(拍手)