
骨折日記4.5日目
上半身だけ元気なんだよなーと、呟いたことが仇になったのか、咳がひどくなるとともに熱が上がる。
夜に上がって朝には下がってた骨折4日目、
5日目は、うーんこれはひどいことになったぞーな熱加減と、喉がちぎれそうな咳。
娘がおかゆをつくってくれるがあまり食べられず、トマトジュースやリンゴを食べて過ごす。
もうろうとする頭と、具合の悪さ、寒気と、
布団をかけようにも猫がおしっこしたらしく臭い!
匂いがわかるからコロナじゃないぞ。
シーツを洗ってもらったり、湯たんぽを入れ替えたり、麻黄湯を飲んだり、
何にも効かないなーと思ってたけど、
そうだ、ロキソニンは解熱剤じゃないかと気づき飲んだら、少し落ち着いた。
それにしても孤独だなぁ、、、
苦しいのも痛いのも、孤独なんだよなぁと思う。
LINEを見ると先日の偲ぶ会で使った花瓶の処分をどうしようかと連絡あり。
ネットの花屋で引き取ってくれず、
レストランの処理には花にかかったぐらいのお金がかかるとのこと。
マジか〜。
リサイクルショップで引き取ってもらうとか提案しつつ友人に相談してみると伝える。
なんかこういう案件の対応をずーっとやってる気がするよなぁ、動けなくてよかったかも。
友人から連絡あり、
体調のこと、偲ぶ会のこと、仕事のことなど話す。
その中で、「人の面倒ばっかりみてるから」心配してた、とのこと。
確かに、恩師の亡くなるまでの日々は付き添いだったし、ご主人の救急車に乗っての緊急手術も現実とは思えなかったし、弱った父のことや、この秋は信じられないようなことが続いていた。
人の命に向き合う日々。
恩師のお葬式を決めることや
偲ぶ会をすることにしたことや
救急車を呼ぶことにしたことや
さまざまな決断の中にいた。
ものすごく冷静で
ものすごく客観的で
ものすごく淡々と進めていった。
間に、さまざまなお仕事やイベントや新しい講座を始めながら、よくやってきたよなぁ。
12月9日の偲ぶ会が総仕上げだと思ったんだ。
もうこれでお役目は終わる。
100名以上駆けつけてくれたパーティは、大成功で泣いたり笑ったりのとてもいい会だった。
丸の内のキラキラのイルミネーションで混雑した通りの中、レストランを借り切ってのパーティは懐かしい顔がたくさん。
あたたかくてやさしくて楽しい会。
もう2度と会えないと思ってた人たちに会えたこと。「ありがとう」とたくさんお礼を言われたこと。
こんなことでもなければ、きっと会えなかった人たちに、会いたかった、と言われたことや、久しぶりに「先生」と言われたこと。
笑っちゃうけど、会社辞めてこんなもんかみたいに思われたくなくて、メイクしてたら「ああ、私、こんな顔してたなぁ」という顔になった。
武装してたんだなぁ。
誰からも何か言われたくなくて、いつも周りを気にしてて、そのためのメイクだったんだなぁ。
久しぶりに見る自分の顔だった。
すご〜く何十年ぶりぐらいな気持ちだったけど、
会社辞めたのは2021年だから、2年半。
その前に会社に行けなくなったから、3年。
でも、その間に起こったことは本当にたくさんのことがあった。
経験したこと、体験したこと、それは会社にいたら到底できなかったことだと言えるし、長く組織にいて学んだことがあるから、今、やっていけてることがある。
そんなことを、電話で話してたら
「ああ、そうなんだね」と言われた。
私のためのギフトだったのかもしれない。
恩師が、もういいんだよ、とたくさんの会いたかった人たちに会わせてくれて、
あんたは間違ってないと言ってくれてるようでした。
そして、最後に「もういいから、自分のことに専念しなさい」と突き飛ばされたのかもしれない。
だって、すごく不自然な転び方したんだ。
それで骨折か〜。
不便さや痛みや、熱の苦しさは、自分にしかわからないもので、それは誰も代わってくれないもので、引き受けることなんだなぁ。
身体は、治そうとしてる
身体は、生きようとしてる
思考のぐるぐるを止めるために熱を出させてくれたのかもしれない