鬼滅の刃を見ながらセカンドカーブに思いを馳せる
テレビで鬼滅の刃をやっていた。
遊郭編の半分ぐらいで終わる。
なんとも気持ち悪い。
Netflixにあったよなぁ、と、見出したのが11時ごろで見終わったら1時半だった。
また、やっちゃった、、、、
ドラマは、途中でやめて寝るタイミングがわからなくなる
物語の力はすごいな
遊郭編は漫画で読んでたけど、
絵の美しさ、炎とか、背景の丁寧さとか、アニメのクオリティがめちゃめちゃ高い。
映画の鬼滅を見た時も、最初のお館さまのシーンの背景のうつくしさに驚いたけど、
丁寧につくられてるんだなぁ、と思う。
最近は、漫画を読んでても白黒だと何が起こってるのか、見失いがちなおばさんとしてはカラーって素敵!アニメーションって素敵と思う。
とっくに原作が終わってるのに、内容知ってるのに、まさに魅せてしまうアニメのすごさがあるよなぁ、と。
何年かかっても、先まで作るんだろうかと思うと、ブームとして終わるのではなく「意思」として作っていくんだなぁと思った。
この頃は、まだまだ炭治郎たちは弱い。 ボロボロになっても戦い続ける
戦って、実戦で強くなっていく
ヒーローものとは違って、傷ついて、ボロボロになっても、大切な人を守るため、傷つく人を増やさないため、心を燃やして、戦って強くなっていく
「犠牲」「仲間」「正義」「守る」
がんばれって、ヒヤヒヤしながら応援し、立ち上がり、這い上がり、怖さや恐れを乗り越えながらがんばる姿は共感を呼ぶのだろう
でもなぁ、鬼滅キャラでなりたいと思うタイプかわいないのはなんでなんだろう
五条悟になりたい、のは
自分はファーストカーブをおえてしまったからかなぁ
若い頃の苦労は買ってでも、というけど、
ほんとにいろいろあるものを乗り越えていくから、人は強くなれる
「成長」や気づきというのは、痛みを伴う
若い、と回復力があったり、立ち直れたり、助けてくれる仲間の存在があったりするけど、
大人になってからだと、それは確かにヘビーで体力的にしんどくなるから、早めにコンフォートゾーンを出て経験を積むことは本当に大切
その時に、折れない心を持ち続けるために
「大切なものを守る」というのが、自分を燃やし続ける力になるのかなぁ、と思う
なんにせよ、そこで「それでもやるのか」という腹括る体験は必要
そして、その先のセカンドカーブを考えると、ファーストカーブで得たものをどう世の中に価値として還元していくのか、ということなんだろうなぁ
遊郭編の天元は、負傷して柱を降りる、と言ってセカンドカーブを生きていくんだなぁと。
鬼滅のメンバーの中では珍しいポジションかも
なんてことを思う私がいる
鬼滅は、戦う鬼の側にもそれなりの理由があって、心の傷を最後、癒しながら死んでいくけど、確かに鬼も人だったことがあって、自分の中にある「痛み」や「怒り」などが、鬼へと変わっていくんだよなぁ、と。
誰の中にもある鬼の心
怒りは、第二感情
第一感情は、何か
突き動かすものは何か、
怒りからではなく
セカンドカーブまできたら
自分を突き動かすものはどんな価値観なのかを見ていくことはとても大切で
愛から動きたいと思う
大人の鬼滅の刃でした