見出し画像

自分に酔うな。宇多田ヒカルさんを見習え

先ほど、録画してまだ見れていなかったエイトジャムを見てみたらちょうど
宇多田ヒカルさん特集の回でした。
音楽が好き、という理由で見だした番組で音楽を理論的に解説してくれるところがこの番組の好きな所なんですが、アーティストさんへのロングインタビュー企画がたまにあってそれを見るのもすごく好きです。
特に作詞をされる方の考えを聞くのがすごく好き。

作詞をされる方ってすごく文学的な知識や人間の本質についてや自分自身に向き合って考えた事をすごく言語化していて、それを直接的ではなく遠回しな表現だったり、比喩を使っての表現だったりするのに、直接言われるよりもパンチがあったり素直に聞けたりするすごい表現者だなと思っています。

音楽の力も大きいんだと思いますが、歌詞を見るだけでも心に刺さる名曲はたくさんあるので、詞を書くってすごいなぁと思います。

エイトジャムの中で宇多田さんが
「自分を突き詰めていったら、人間みんな同じ所に行くイメージがある」
「自分にとってホントの事を表現したら、たくさんの人にとっても同じくらいホントの事になる」
「他者とは自分の鏡だ」
と言っているのを聞いて「私はまだそこに気付けていないな」と思いました。

私は私の感情が私独特もので、唯一無二だと思っているけど、それはまだ浅い所にいるがゆえの考えかもしれない。

国語の問題で「筆者はどんな気持ちだったでしょうか」という類の問題が私は得意でした。
私とは反対に娘がとっても苦手なんです。それは「自分と他者が全く別の人間」という感覚を持っているからみたいです。
(数秘的プラス、本人への確認で発覚)
そんな娘に私は「突き詰めるとみんな違うかもしれないけど、共通して感じる基礎的な喜怒哀楽は一緒じゃない?ネコだって喉をなでられると気持ちいいっていう基礎的な生理的な感覚があるでしょ?それに似た事は人間にもあると思うよ」とアドバイスしていましたが、宇多田さんの話を聞いて人間が共通して持つ思いというのは浅い所じゃなく深い所なのかも、と思いました。

でも、今この文章を書きながら「そうじゃないかな」とも感じています。
多分入口と出口というか、一番浅い所と一番深い所は一緒なのかもしれない。
でも辿る道とか使う乗り物とか、一緒に歩きたい人とかそういうのが違うのかな。
以前書いた記事

これにも「自己啓発とかビジネス書とかって結局みんな根幹は一緒な事。」と書きましたが”ソクラテスや孔子、孟子が言ってる事に結局たどり着くもので、明確なゴールがあるんだよ”といろんな人が説明をしているのにも関わらず、未だに人間が迷い悩み続けてゴールを探すのは、辿る道が違いすぎて一緒じゃない気がしてくるからなのかもしれません。
それか自分が特別だという思いに執着しているのかも。

自分の事を突き詰めていくと自分が何か特別な存在のような気がしてしまって自分がただの人間だという事を忘れてしまいがちですが、それは自分に酔っているという状態なのかもしれません。
そうじゃなくて宇多田さんの言っていた「あぁ私ってこういう人間なんだな。というか私がそうならみんなもそうだろうな」という感覚なるには酔いを覚ます事が必要な気がします。

考えれば考えるほど、自分に酔っている自分に心当たりがありすぎてちょっと恥ずかしくなってきました。
酒は飲んでも飲まれるな、みたいな意味合いで自分に酔うなよ、という格言が何か思いつくといいなぁと思ったんですが浮かばなかったので大人しく寝ようと思います。




いいなと思ったら応援しよう!