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考え事をするためのドライブ

ふと「今、自分に必要なのは長距離ドライブだ」と思い付き、片道3時間ほどのドライブに出かけました。
行きの3時間は何の音も鳴らさず、自問自答を繰り返しながら運転していました。

長距離ドライブが必要な理由は「思考する時間を取る必要があったから」だというのはわかっていて、でも何について考えればいいのかわからない。
いや、わかっている気もする。

今自分は何を考えたいと思っているんだろう。
今自分が気になっている事はなんなんだろう。

そこで出たのはワードは
・支配
・視点
・五感

の3つでした。

支配、という単語が出たのは前回も紹介したこのyoutubeの内容がめちゃめちゃ刺さったから

この中で言われていた「自分の意見を持つ前に人の意見を聞くと、思わず同意・共感しちゃうけど感情自体を操られている可能性もある」という話。

この話を考えると思い出してくるのは過去に言われたいろんな私への意見。

数年前までの私には「意見」と呼べるような大層なものが、あまりなかったように思います。
言葉がそこまで育っていなくて、言語化もできなくて「直感」のようなものばかりだった気がします。
直感を声に出して相手に伝えると相手から意見やリアクションが返ってくる。
「直感」が「意見」に育つ前に他者の「意見」が入ってきて少し感情が操られる。
でも、何度か紹介しているこの本

でも書かれている通り、人間の根っこの部分て支配され切らない。

私の場合は相手の意見を飲み込んで咀嚼してる間は軽く支配されているんだけど、気持ち悪くなって吐く。
で、トラウマになってアレルギーになる。というのがパターン化されている気がします。

でも、それを経験している時の私の視点は「個の視点」だけでした。

個の視点で人と接している時、私に意見をくれる人は「大衆の代表」だという感覚でいたように思います。
一人から言われてるだけなのに、全員からの意見を言われている気がしてる。

「みつばは独特だね」
とたった一人に言われるだけで
「みんな私の事そういう風に思っているんだ」
と感じてしまう。
それが更に「個の視点」の狭さに拍車をかけていく。
だから何をするにも人の目が気になってしまう。
「大衆」に対して恐怖を感じてしまう。

1人に嫌われただけで「みんなから嫌われてる」
1人と気が合わないだけで「誰とも分かり合えない」
1人と意見が違うだけで「誰も私に寄り添ってくれない」
そんなセルフ支配をしていた気がします。
そういう思いが脳の後帯状皮質は活発させ、メンヘラの出来上がりです。

ただ、最近自分がしっかり五感を感じる事をキッカケに自分の感覚にだけ集中する事で、後帯状皮質は癒され、そのおかげで心の余裕が出来て、さらに
「五感」というみんなそれぞれ違う感覚なのが当たり前のモノと向き合う事で「人の感覚なんて人それぞれだ」と思えるようになり、その流れで大衆の視点にも気付いたおかげで、自分にかけていたセルフ支配に気付く。

私を嫌いな人もいるけど、全員がそうじゃないし、自分と同じ人はたくさんいる。
私と気が合わない人もいるけど、気が合う人もいるし、というか大抵みんなそんなもの。
私と意見が違う人なんているのは当たり前!寄り添ってほしいと思うのも自分だけじゃなくてみんな思ってる事!

私のメンヘラ具合も、自分がたった一人思い悩んでいる事ではなく、人間生きていればよくある症状。
花粉症くらいのもんです。

五感をキッカケに自分のセルフ支配に気付き、それを解くポイントに視点と自分の意見と他者の意見を分けて考える事があるな、と考えがまとまったのはドライブを始めて2時間が経った頃。
帰り道も、このおさらいをして帰宅後こうやってnoteに書けたので今日のドライブはとんでもなく有意義なものになりました。
安全運転第一だけど、こういうドライブをたまにするのは良いなと思いました。

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