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小6の娘と小6の私を比べてみた

五感に関して考える時、割と過去について思い返してみるという作業をするんですが、娘が小6という事もあってふと「自分が小6の時ってどんなんだったっけ?」と思いました。

2024年に石川県の小学六年生として生きている娘を観察してみると、ゲームとyoutubeが大好きな今時の平凡な女の子です。
毎週末、友達が来るか・オンラインか、の違いはあれどずっとしゃべりながらゲームをしています。
友達とタイミングが合わない時はyoutubeしながらゲーム。
私はというと、1998年に石川県の小学六年生として生きる女子でした。バスケとマンガが好きな平凡な女の子でした。
週5でバスケの練習があり、ほぼバスケをしていた記憶しかありません。
ゲームはスーパーファミコンとゲームボーイがありました。
多分ポケモンとかやっていたと思います。

私は子どもには広い世界を見てほしいと思っていて、ゲームに偏らないように劇とかバレエとか美術館とかキャンプとか、とにかくいろんなモノに誘うように意識をしていました。
割と4年生までは誘えば一緒にきてくれてたなぁ。
なのに、今は「興味ない」という一言で断られます。あまりにも誘いに乗らないので「狭い世界で生きてるなぁ」と悶々としてました。
自分が小6の世界が狭小中の狭小だと思っているので、自分よりはいろんな世界を知っている小6であってほしいと思ってたんです。
でもそもそも娘は生まれは大阪で小3まで大阪で過ごし、4年生で石川県に引っ越しし、年に1回は県外に旅行に、小1で海外旅行に行っている娘とは雲泥の差があります。

でも、誘いに乗ってくれなった娘の世界はこれからちゃんと広がるのか?広げてあげるのが、一番身近にいる大人である私の役目なんじゃないか、と思ったりしていましたが、ふと、娘がオンラインで友達と楽しそうにゲームをする声が聞こえた時に、その声があまりにも楽しそうで自分が「世界が広がらない!」とか言ってる事がアホらしくなりました。

見た事あるものが多ければ多いほど確かに世界は広がるかもしれない。
でもそれは上澄みの世界で、人生を豊かにする広がり方ではないのかもしれない。
小6の時に親に怒られながらも思い切りゲームを楽しんだ。
それ以上の世界が今の彼女に必要なのか、と聞かれたら答えはNOだと思いました。

じゃぁ私は?
小6の時に週5でバスケの練習があって、旅行にいく経験も、友達と遊ぶ経験も人より少なくて、しかも上手ではなかったから怒られたし大会でも優勝する事は叶わなかった。
そんな小6の時の私の世界は狭くて物足りない不便なものだったか?

そんな事はないな、と今やっと言える気持ちになりました。

バスケに打ち込んだ小6の私の世界は確かにほぼバスケという狭い世界だったけど、その狭い世界をとても堪能した。
上澄みの世界ではないと断言できます。

世界を広げなきゃ、というセルフ支配が自分にあった事に気付きました。
まさに手段と目的がごっちゃになっている状態でもありました。
世界を広げる事が目的ではない。
楽しく生きる事が目的じゃん。
そのための手段が「世界を広げる事」だった。

心から友達とゲームを楽しんでいる娘の笑い声が、自分の良い刺激になってセルフ支配が1つ解けた気がします。



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