手放したときに入ってくる新しい風
こんにちわ。
前回の記事、たくさんの方が読んでくださっていて、
いいね💓してくれた方々も、ありがとうございます!うれし!
手放して自分の生きたい生き方を実行していく話だったのですが、
ここにくるまで結構長かった~。
やっぱり最初はどんな風に生きていきたいかをイメージして思い描き、
そっちに向かって何度も選択していった結果なんですが、風の時代は実現も早いと思うのでざっくりどんな風に歩いてきたかを書こうかと思います。
里山に来る前は、社会システムに従う働き方が全然向いてないと気づいて、絵を描いたりアート制作をライフワークとし、バイトはだいたい少なくとも2個掛け持ち。バイトを2個掛け持つとどっちにも入り込みすぎずバランスが取れてよかったのだけど、いつも何かしら仕事してる感じ。
それは里山に来てからもあまり変わらなかったのですが、
・仔猫を2匹飼うことにしたこと
・小春(2,5kgの小さな龍のようなプードル)の介護
を主体とするには、どこかに働きに行くより家や近くが働き場なのがいい。
都会ではなく、今暮らしている土地がいい。
そして10年後も20年後も続けていけるものがいい。
と描いたときに、数年お手伝いしていた直売所での
お餅をつくる仕事に辿りつきました。
人生で一番おいしい!と感じたお餅だったのでお手伝いしていたのですが
まさか自分が餅屋なるとは思っておらず、描いた生き方の選択の結果でした。
お餅をつくることは、「どんな仕事をしたいか」と自身に問うたときに描いたものに近く、正直で、おいしく、素材もシンプルで手作り、もち米は地域のお米、ヨモギも手摘み、更にみんなが美味しく喜ぶ仕事。
それでも、独立してのお餅仕事を上手くこなしていくには時間がかかり、1年目はミカン収穫や干し柿づくりのバイトもしてました。
動物たちとの時間は仕事の隙間のため、ゆとりなし。
旦那さんとゆっくりする時間もなく、
忙しすぎるゆえ、言葉が足りない、届かない、受け取れない、
うん、あるある。よくあるパターン。
旦那さんによく言われたのが、
このやり方だと続かないという言葉。
そして、どっちに進みたいのかと何度も確認されました。
自分自身のエゴの手放し。
正しいとかこうあるべきだとか、今までこの生き方してきたからとか、
ほんと、それ一番いらないと今ならわかる。
ちょっとずつ、手放してきたから。
出来るものから手放していく。
一人だったら簡単に手放せたものも
二人だと難しく感じる。
そんなことはなく、思いきって手放してみたら
次の新しい何かが見えてくる。
その繰り返し。
世の中の大きな流れの中で
これまで生きてきた世界への執着に気づき、
これから生きていきたい世界を創ること。そちらに意識を向けたときに、
手放すものは自分自身のエゴだったと気づく。
手放すほどに楽に、豊かになっていく不思議。
そのうち鶏と暮らすことになっていき、
卵から孵しヒヨコから雛、鶏になっていくまでの時間、
弱っていく雌鶏に寄り添う時間、
野良猫からうちに来ることに決めた三毛猫ミータマとの時間。
愛を注ぐものが増えていく。
気が付くと、子供の時に描いていた世界になっている。
あとは自分自身の決断だけ。
というところで、直売所での店番を辞めたのでした。
辞めるにあたっても、
最初は月に2回ないし3回。
それを餅の仕事が忙しすぎて1回に減らし、
月1でも心底楽になり、
1回くらいなんでもないと思っていたのに!
その1回を手放したときの感覚。
驚くほど自分の感性が世界に開いていった。
この文章を書くということも
その1回を手放したから持てた時間。
旦那さんが蒔いたパクチーの芽吹きも見つけたのは私。
大根の花が咲き始めたことや
雨ごとのエンドウ豆の葉の強さ、
大地に沢山生えてきた嫁菜。
雨続きで泥んこになった鶏の遊び場にコンテナ8杯分落ち葉を集める時間。
家を修繕する時間。
押し入れにしまったままの荷物を片付ける時間。
家の中を快適にする時間。
朝、薪ストーブの灰を集め掃除し、火を熾す時間。
夜、猫とゴロゴロしながらあーでもない、こーでもないと旦那さんと会話する時間。
ミータマと坂道を遊びながら歩く時間。
鶏さんのおやつタイム。
鶏リズムで歩くこと。
全てお金で買えないものばかり。
全て今ここのものしかない。
いきなり全部は手放せないけど、
少しずつ、生きたい方向に向かうために、
まずは1個手放す。
そしてまた1個。
それならできる。
それを繰り返していくと、ちゃんと思う方へいける。
風の時代は早いからこそ
ちょっと違和感を感じること、
本当に自分がやりたいことではないこと、
本当はとっても無理していること、
手放したときに入ってくる素敵な風はすぐ感じれるとおもう。