「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)の夕暮れ」

 同僚三人と四国へ行くことになった。三人はバイクで廻り、こちらは電車とバスで移動し、決めた宿で落ち合いながら移動しようという計画である。
 東京からフェリーで出発した。船内には松崎しげるが歌うオーシャンフェリーの歌がたえず流れていた。今はどうなっているのだろう。今でもこの歌は使われているのだろうか。
 長い船旅は初めてだったので、船酔いが心配である釣り具店で聞くと、船酔い防止の良い商品があると聞き、購入した。時計のように手首に巻くだけなのだが、ちょうど手首のツボを刺激するよう内側に丸いボール状の突起がついていて、少しきつめに締めるという、ただそれだけの簡単なものだったが、これがとてもよく効いた。おかげさまで、船酔いの「ふ」の字もなく無事四国に到着した。不思議だったのは、船酔いもしない代わりに、ビールを飲んでも酔いもしなかったことだ。船酔いとアルコール酔いは同じはずがないのだが、これは今もって不思議なことだ。
 複数人数での旅では、それぞれの個性のぶつかりが程よいほど快適で、それが度を超すと逆にストレスになるが、今回はバイクの3人もそれぞれに別行動を採り入れ、皆で会った宿でその時までの出来事などを報告し合い、最後まで新鮮な旅行きだった。

 W君はことのほか将棋が好きなのだが、あまり勝てずにいたところ、同僚の今回も一緒に旅しているS君が将棋を指したことがないと聞き、これはいいカモを見つけたとでも思ったのだろう。じゃ、教えてあげるよということになり、懇切丁寧に駒の動かし方を説明してあげたそうな。で、S君がある程度理解したところで、それでは一局ということになったらしいのだが、なんとW君は駒の動かし方を教えた相手に負けてしまったとのこと。後日、そのS君がW君の家へ遊びに行くと、万年床の枕元に「将棋に強くなる方法」という本が鉛筆を挟んだまま置かれていたという。よほど悔しかったのだろう。で、何を隠そう、そのW君は、実は私の将棋のライバルでもあるのだ。ということは、私の棋力は、言うまでもない。当時は確か最年少名人位についた谷川浩司の全盛時代だったと思う。高速の寄せ、に憧れながら、実際は高速の如くに負け続けの日々だった。宿でも、将棋板が置いてあるのを見つけると私とW君のライバル魂に火が点き、呆れて見ているS君ともうひとりをよそに二人は低次元の勝負を繰り広げるのであった。

 何局指したのか、その次の日はお互いにたぶん睡眠不足だったのではと思う。朝食後、気をつけてねと挨拶をし、3日後に落ち合う場所を決めてバイク組と分かれた。
 ガイドブックを見ていると、大歩危小歩危という文字が目に付き、ハイキングコースがあって、自然の素晴らしい景色を味わえるとあった。何やら危なそうな地名だが、行程でいうと、3日後に皆で落ち合うその途中にあって、久しぶりに山の自然の空気を吸うのもいいかなという気になった。それまでは、海沿いの景色が中心だったのだ。
 山道は、足元が気持ちよい。普段舗装の道に慣らされている足裏が開放されたようになる。気持ちよく歩いてはいたが、やはり12月。訪れるハイカーも少ないせいか、人の足跡もなく、時折道を塞ぐ倒木を跨(また)いだりで、ちょっとだけ苦労もしていた。
 そんな訳で、次第にスムースな山歩きという訳にいかなくなって、予想より少し時間がかかった。
 人それぞれ性分というのはあるもので、こちらの欠点として、思ったら体が動いてしまっている、というところがある。前にタイのバンコクに半年ばかり仕事で滞在している時、現地の日本語センターを訪ねることがあり、下調べ通りにバスに乗ったのだが、降りる所が意外に分かりづらく、バスの出口あたりで周りの風景を観察していたのだが、それらしき看板の建物が目に入り、その瞬間、動き始めたバスから飛び降りていた。出口には扉がないのだ。その瞬間、体が何回転かころころと転がった。予想していたより、バスのスピードが出ていたのだ。後から振り返ると、後ろから車が来ていたら、間違いなく大きな事故につながっていただろうと予想され、肝を冷やしたものだ。
 そして、今回。少しずつ日も暮れかける空気感に少しあせり、歩を早めていたのだが、ふと右に折れる少し斜度のある脇道が目に入った。こちらの方が早く降りられそうだと思った瞬間、右足がその道へ一歩踏み出していた。ザザザーーー。ふいに体が落下し、気付くと、大きな木に体がぶつかって停止していた。眼鏡がない。靴も片方ない。ザックだけは無事だった。しばし呆然としていたが、次第に頭が回り始めたところによると、どうも古い沢の跡に落ちたようだった。あらら、こんなところで死ぬのか、もう美味しいビールを飲むこともできないのかと、しばらく夕暮れがせまった空を見渡していたが、幸いに体に不都合な所はなく、次第に再び頭が回り始めた。そして、道のない下へ行くより元来た所へ戻る方がよいような気がしていた。実際どれくらい落下したのかはわからないが、実感でいうとかなり下方へ落ちたようだった。なくなったと思っていた靴が近くにあったのでそれを履き、慎重にゆっくりと、上を目指して這って登った。
 やっとのことで落下地点へ出ると、これはもう、未体験の道を進むよりは来た道を戻るしかないと思い、次第に暗くなる空を見ながら歩を進めた。
 ああ、神様、これからはもっと丁寧に生きます、などと呟きながら冷たい空気の中を自分の足元だけを見て慎重に歩き続けた。
 車道へ出た時にはもうすっかり日も落ちていた。ああ、助かった。駅を目指して歩く途中に讃岐うどんの店があったので、すぐに飛び込んだ。その時食べた温かいうどんは、今回の旅程中で一番美味しかった。何度もため息をつきながら麺をすすったものだ。
 そして、大歩危小歩危とはよく命名したものだな、とこれは後になって思ったことだった。

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