遺跡にて 南北アメリカ自転車縦断 コロンビア(3)
3月27日、前日は135km走り、なおかつ標高差1,000mもカバーしたので、疲れがまだ残っている。日曜日だったこともあり、1日休憩することにした。
何か面白いことはないかと思い、ポパヤンの中央広場に行ってみると、子供たちによるマーチングバンドが行進していたので、それを見学。その後大聖堂に行ってみると、ちょうどミサが始まるところだったので入ってみる。もちろん全てスペイン語なので、話の内容は皆目不明だったけど、歌の伴奏に笛を使っていたのが、「いかにもアンデスの国」という感じがして良かった。
午後、中央公園のベンチに座っていると、いろいろな男の人に声を掛けられる。最初はなぜそんなに声を掛けられるのか分からなかったのだが、何人目かの男に、間違いだらけの英語で「ドゥー・ユー・ゲイ?」と聞かれて、ハッと気づいた。どうやら、「この公園のベンチに座る」イコール「同性相手を求めている」ということらしい。慌てて立ち去る。
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翌日は遺跡に行くことにする。
ポパヤンから南東にはサン・アグスティン遺跡、また北東にはティエラデントロ遺跡があり、どちらも世界遺産に登録されている。より有名なのは前者だが、宿の旅ノートに「どちらか1つにしか行けないならティエラデントロ遺跡に行け」というコメントがあったので、それを信じてティエラデントロ遺跡に行くことにする。日帰りは無理なので、自転車と荷物はポパヤンの宿に預かってもらった。
遺跡最寄りの村、サン・アンドレス行きのバスはポパヤンのバスターミナルを午前10時30分に出発。なんとボンネット型のかなり古いバスだった。サン・アンドレスまでは14,000ペソ。700円ほど。出発の段階で既に満席で、途中からは立ち客もでるほどだったが、外国人は私だけだった。
「トトロ」という日本人からすると面白い名前の村を抜けてからはどんどん高度を稼ぐ。途中からはずっと未舗装道路だった。
よくぞこんなところに道を作った、とコロンビア人を褒めてあげたくなるような絶景の峠を越える。タイヤがパンクして立ち往生している車があったが、バスのスタッフが手際よくスペアタイヤの取り付けを手伝ってあげる。(こういう親切は日本ではなかなかない。)
サン・アンドレス村に着いたのは午後3時半。大した距離ではないのに5時間もかかったが、とにかく無事に着いてくれただけでも感謝したくなるくらいの悪路だった。
サン・アンドレス村はほとんど道一本だけの本当に小さな集落だった。腹ペコだったのでまずは食料を探す。食堂は閉まっていたが、小さな商店でパンをゲットできたので、それをコーラと一緒に流し込んだ。
一息ついてから宿を探す。ガイドブックには「宿が3軒ある」と書かれていたが、1軒も見つからない。そもそも宿があるような規模の集落には見えない。
不安になったが、宿は集落から少し下ったティエラデントロ遺跡の博物館の近くにあった。1泊なんと6,000ペソ。300円。結局2泊したが宿泊客は自分だけ。(そもそも村全体でも観光客は自分だけしかいないのではなか、と思えるくらい、サン・アンドレス村は鄙びていた。)
夕食は宿で食べる。宿の人たちは皆親切な人たちだったし、宿代がこれだけ安ければ食事代だって安いに違いないと思い、夕食代がいくらなのかは聞かなかった。
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翌3月29日は1日かけてティエラデントロ遺跡巡りをした。
入場料は6,000ペソ。台帳に名前を記入させられる。台帳を見る限り、だいたい1日~2日で1グループしか来ていない。受付のおっさんは私が日本人であることを知り、「日本人だって来るぞ」とだいぶ前のところを示してくれたが、それは香港の人だった。
まずは2つの博物館を見学する。鍵が掛かっていたが、おっさんが開けてくれた。1つは遺跡の出土品を展示している博物館で、もう1つはこの地方に住む原住民の文化を紹介する博物館だった。
原住民の人たちは冬に蓑や笠を身に着けるらしく、それらが展示されていた。それらを指さして、「日本にもあるよ」と言ったら、おっさんは、「カッパ」と言っていた。「蓑笠」は「カッパ」というらしい。日本でもレインコートをカッパと言うが、これは果たして偶然だろうか。「カッパ」の語源が気になった。
その後、山を登って遺跡の方へ。おっさんもついて来る。なんでついて来るのか、と思ったが、実は遺跡はどれも山中の穴の中にあり、いくつかの穴にはフタがされている。彼がそれらを開けて、中のライトを付けてくれる。そして私が見学している間、彼はずっと外で待っている。
スタッフは彼しかいないようだったので、私が遺跡を見学している間、他の観光客は入場出来なくなってしまう。でもきっとそんなに客は来ないからそれで大丈夫なのだろう。
ティエラデントロ遺跡は西暦1,000年頃の遺跡だが、どうやら地下埋葬所であったらしい。大きいものはかなり大きく、穴全体は丸いが、中央に大きな柱が2本建っていて、更に周りは4つ~7つの小部屋に区切られている。壁には赤と黒の絵が残っている。幾何学的な模様が多いが、柱の上には人の顔が描かれている。死者を守っているのだろうか。
このような地下埋葬所は、南北アメリカでは唯一ここだけにしかないそうで、なぜ彼らだけがこのようなものを、しかも不便な山の中腹に作ったのかは全くの謎、とのことだった。
昼食のために村に戻る。パンを買って、村唯一の観光スポットである小さな白い教会で食べる。この教会の中から出口を通して見える山々が素晴らしっかった。教会は子供たちの遊び場にもなっているようで、学校帰りの子供たちが遊んでいた。こっちを見てはクスクス笑うのが可愛い。
遺跡は谷を挟んで村の反対側にもあり、そちらは明日回ろうと思っていたが、昼食を食べて元気が出たのでそちらも回ってしまうことにする。谷を渡り、急ピッチで山を登る。標高2,000mほどの尾根に出ると360度山々が見渡せる。
こちら側の遺跡は整備されていない。尾根伝いにボコボコと円形の穴が10以上開いている。中には半分埋まってしまっているのもある。きっと発見当時もこんな感じだったのだろう。
充分遺跡を満喫して、宿に戻る。
夕食後、宿の少年のマニュエル君に頼まれてカタカナを教える。他の子も来たので、それじゃあ、折り紙を教えてあげようと思ったら、なんとマニュエル君は折り紙を知っていて、折り鶴は私よりも上手だった。参りました(笑)。
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翌日、ポパヤンに戻る。
結局、2泊分の宿泊費、2回の夕食と1回の朝食で合計19,000ペソ。日本円で1,000円もしない。食事代は事前にいくらか聞いていなかったが、ぼったくられることもなかった。宿の人のホスピタリティーも素晴らしく、こんな値段で済んでしまうのが申し訳ないくらい良い滞在だった。