高円寺
昭和30年代の高円寺:
1)町にゴミ箱なるものが置かれ、そのゴミを回収するオジサンたちがいた。
2)トイレも水洗式はほとんど無し。定期的にバキュームカーが吸い上げて行った。
3)トイレットペーパーなるものは、上級の家庭にしかなく、一般庶民は新聞紙で用を足していた。
4)街灯はほとんどなく、50メートルおきくらいに裸電球が点いているだけ。
5)都道でも非常に狭く、電柱を削るようにしてバスが通っていた。元早稲田通り、昔大場通り。
6)鉄筋コンクリートの一般建物はなく、みんな木造であった。
7)畳屋さんは現在のように機械は使用してなく、オジサンが長い針をもって渕布を縫っていた。
8)魚屋さんは電気冷蔵庫なんて言うものはなく、氷を砕いてその上に商品を並べていた。
9)寿司屋さんは”回る寿司”なんていうものは無く、立ち食いの店であった。
10)近所には必ず名物ジイサン、名物バアサンがいた。ジイサンは風呂屋さんで「静かにしろ!」って怒鳴っていた。バアサンの方は年がら年中、井戸端でしゃべくっていた。
11)高円寺の東側が”踏切”になっていて、そこのオジサンと話すのが楽しかった。
12)高円寺の商店街は道路の放送がやかましく、いつも雀荘の「ピーホー」の宣伝ばかりしていた。
13)近くに平和劇場と言う映画館があり、いつも成人映画ばかりやっていた。
14)その平和劇場の隣に「バクダン」という飲み屋さんがあり。いつも客同士がケンカしていた。
15)家の周りには必ず20センチほどのドブがあり、そこからの異臭がすごかった。定期的に近所の人たちが集まり、”ドブさらい”をやっていた。
16)たまに電車に乗るとタバコ臭が体に着いた。でも駅のホームから灰皿が無くなったのは、最近の事では。
17)長距離の汽車に乗って弁当を食べると、その食べかす及び包装紙は椅子の下に無造作に置いた。車内にゴミ箱は無かったかも。
でも、全てが懐かしい!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?