【stmy】可愛ひかるの可愛くないところと向き合ってみる

名前からして『可愛い』可愛ひかる。
でも可愛いだけじゃない可愛ひかる。
可愛ひかるのことが好きすぎて彼の人間性について個人的に解釈したことについてまとめます。
(全部ただの主観)


※メインストーリーやカードストーリーなどのネタバレをふわっと含みます。


可愛ひかるのサイコパシーについて

可愛ひかるの設定で一番気になるのは共感性の欠如
それから2019年12月3日のログスト『小さい頃に怖かったもの』で(怖いっていうのも色々あるんだな~……僕にはよくわからないけど)のセリフから予想できる恐怖心の欠如
このあたりの特徴は可愛ひかるが持つサイコパシーの象徴ではないか、と個人的に考えています。

一般的にサイコパスというと何となく凶悪な殺人鬼のイメージが先行するけれど、実際には医者や弁護士、経営者のようにむしろ”共感性が欠けている方が仕事上有利で成功する”人たちが多い。
可愛ひかるのキャラクターデザインの根底に、サイコパスというキーワードがあるのかもしれない(と思っている)。


もともと共感というのは人間に備わった機能のひとつであるはずなのに、可愛ひかるにはそれがない。
本人も自覚している。
だからこそ、マジョリティになろうと統計で導かれる最適解が示すとおりに行動する。
ここに本人の感情や意思は含まれていなくて、単純にこうすることが一番合理的だから行動する。

この部分が可愛ひかるが持つ主なサイコパシーのように思える。

自分にそういう資質がある、ということはもしかしたらわかっていないのかもしれないけど、計算しつくされた言動の上に成り立つ可愛ひかるという一人の人間の不自然さが私は怖い。
彼の言動の裏にあるものを勝手に想像して怖くなってしまう。
玲さんも可愛ひかるに対してそんな違和感を覚えている。

本人は特別感情に乏しいわけじゃないって言ってるし、対人関係の中では相手が望む自分の姿をいわば演じているような感じなのかなぁと思う。
自分自身の感情は”ある”けれども、それを対人関係の中で出すことは非合理的で必要のないものだ、っていうふうに簡単に切り離すことができるのかもしれない。

そういう可愛ひかるの言動を考えると、やっぱり彼はサイコパスとして描かれているんじゃないか、というのが超個人的な解釈です。

玲さんとの甘い時間を描いたストーリーも数多くあるけれど、例えば『この指とまれ!』のストーリーで玲さんに「共感してほしい」って言われたとき、「はいはい、いいからいいから」って軽く受け流すところとか、些細なんだけどすごく危ういなと思う。他人の言動を誘導するのが上手だから簡単にのせられてしまうけれど、個人的には可愛ひかるのこういう面は、妙な違和感として受け止めています。


可愛ひかる自身が自分の特性にどう向き合っていくのか

この答えはもうメインストーリーseason3で語られていることがある程度すべてだと思う。予想外の言動が多い玲さんのことを観察することで、「何か大事なものがみえてくるかも」って言ってる。だから、可愛ひかるは、共感、というものを理解できないけれど、いつかその共感を通して感じられる心の温度を知りたいのかなって、そういうふうに解釈しています。過去に、他人と違うのが嫌だって思ったことがある、と言っていたし、瀬尾研のメンバーや玲さん、京介くんや周りのいろんな人たちと関わっていく中で、いろんな感情を見て、自分の内側も観察して、何か糸口が見えたらいいなぁと願ってる。

そして一点気になることがあって。
season4で、菅野さんと遭遇したあの場面。菅野さんが何やらいつもと違うということは潔くんも可愛ひかるもすぐに気が付いた。潔くんは、自分の気持ちに従って勇気を出して菅野さんを追いかけていった。
一方の可愛ひかる。
潔くんの後を追うべきかわからなくて、最適解が分からなくて立ち尽くしてしまった。
統計によって導き出される最適解は、可愛ひかるの生き方で、人生で、正義。それが分からなくなった。
あのとき可愛ひかるの中に、もしかしたら恐怖心が芽生えたんじゃないかと思ってる。
身近な、大切な人が危ない目に合うかもしれない。そんな場面に出くわしたけれど、自分は何をしていいかわからない。
結果的に郁人さんからの連絡で落ち着いたけれど、可愛ひかるの正義の脆さを見せつけられたような気がする。

(統計に関して余談)
有名な言葉で、『世の中には3種類の嘘がある。嘘、大嘘、そして統計』というものがある。これは統計の性質上、データの解釈に誤解が生じてしまうという側面があることについて言っているんだと思う。何百、何千ものデータをたった一つの平均値で全部を表すことはできないし、同じデータでも見方を変えれば解釈が変わる。
そういったことを踏まえると、可愛ひかるの正義である統計の脆さがより明確になる気がした。統計に頼る生き方は、とても合理的で、でも、本当の可愛ひかるが見えてこなくてちょっと寂しい。


哲学的ゾンビを思い起こさせる存在としての可愛ひかる

これは結構余談っぽい。
私が可愛ひかるの人間性について考える中で、興味深い哲学の思考実験について知った。それが哲学的ゾンビ。ざっくり言うと「(たとえば)嬉しいっていう感情はいっさいないのに、あたかも嬉しいと感じているように反応できる」存在。これをゾンビ、と言っているんだけど、中身も外側も人間と何も変わらなくて、人間と区別を付けられない存在。哲学的ゾンビが存在したとしても区別付かないから分からないし、だいたい、自分自身が哲学的ゾンビかもしれない。でもわからないっていう、もともとは唯物論を否定するための思考実験として生まれた考え方(詳しくは調べてください&間違ってたら教えてください)。
なんだけど、この話を聞いて真っ先に可愛ひかるのことが思い浮かんだ。別にそんなこと思ってないけど、そう思ってるように行動したり発言したりできる。そんな可愛ひかるの姿と重なる。可愛ひかるの中身がとことんからっぽであるような気がしてきて、ちょっと寂しい。プロフィールの『何もない空間を漂う夢』は可愛ひかるの空虚さを示しているのかもしれない。


それでも可愛ひかるを推したい気持ち

ここまで可愛ひかるの闇っぽいところとか、不安定なところについて考えて書いてみたけれど、やっぱり可愛ひかるのことがひとりのキャラクターとして、人間として、好きだなと思う。

だから何より可愛ひかるのパーソナリティを否定したくない。これは強く主張しておきたい。統計や心理学で相手のことを観察して生きることは、可愛ひかるにとっては当たり前の生き方。個人的には何か気持ち悪いなとすら思う部分もあるけれど、そんなのありえない!変だ!なんて誰にも言える資格なんてない。
その上で、可愛ひかる自身が、他人や自分の感情について知りたい、と思っているならそれを尊重したいし応援したい。
泉玲という素敵な人物の視点を借りながら、これからも可愛ひかるの可愛くないところ(と、もちろん可愛いところ)をたくさん見ていきたいし、感じたいなと思います。

おしまい。



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