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スポーツの審判に対する僕の考え方

プロスポーツは選手だけでは試合が成立しない。

プレーに対し判定を下す審判の存在が必要不可欠だ。

プロスポーツにおいて、観客を魅了する選手のプレー、時にそのビジュアルに注目が集まることはあるが、その注目が審判に対して向けられるとき、多くはネガティブな視線だ。

「世紀の大誤審」
「史上最悪の大誤審」

メディアも挙ってネガティブなニュースを発信し続ける。

プロスポーツである以上は勝敗が決まり、その勝敗がチーム経営や選手生活に影響を与えることは事実だ。

それゆえ、時に試合の結果を左右する判定が受け入れがたいものであった場合、選手や監督(時にファンも)は判定を下した審判へ感情的に暴言を吐くことがある。

僕は審判に対し、著しくリスペクトを欠いた言葉遣いをする選手が嫌いだ。

当然僕だって判定に疑問を持つこともあるが、審判だって普通の人間がやっている。

審判のジャッジに不服があるからといって、激しく罵るような言葉で抗議する選手を、その後審判は平等な視点でジャッジできるだろうか。
(もし僕なら腹立ってできない)

ましてアイスホッケーは球技の中で最も展開が速く、ルールが複雑なスポーツだ。全てのプレーに対して完璧にジャッジすることなんて不可能に近い。

そんなスポーツの審判に対して、あたかも自分たちが常に正しいという姿勢で感情的に文句を言うことは、スポーツマン以前に人間性を欠いていると言わざるをえない。

さらに、コロナ禍(観客が声を出せない)で選手の声が観客に届きやすくなっている中での暴言は、アイスホッケーの品位が疑われかねない。

日本アイスホッケーにおいて、審判のレベルが高くないことは僕も感じることではあるが、今日は僕が日頃から審判に対して思っていることを書き綴ろうと思う。

興味がある方だけ読んで頂きたい。

そもそも審判とは?

話を始める前に、そもそも審判ってどんな存在なのかを今一度確認する必要があると思った。

例えばサッカーを例に考えていきたい。

その昔、サッカーなんていうスポーツがなかった時代、誰かが、

「この丸いボールを相手の陣地まで持ち込むっていう遊びをしない?」
と言い出し、それからだんだんと、

「陣地がわかりにくいからゴールを設置しよう」
「これ、足だけでやってみない?」
「人数が多すぎても少なすぎてもつまんないから11人にしようよ」
「ゴール前で待ち伏せするずるい奴がいるから、それは無しにしようぜ」
「さっきあいつ隠れて手を使ってたぜ、ずるくね?」
「ずるいことしないか見張ってくれる人が必要だよな」
「よし、交代で『審判』って役を決めようぜ」
「俺はもうプレーはしないから、みんな試合する時は審判やってあげるよ!」
※全て僕の想像

多分こんな感じで「審判」が誕生したと思う。

スポーツは元々、人々の娯楽として生まれ、それを見ることに楽しさを感じる人々が現れ、それをお金を取って見せるようにした団体が現れた。それがプロスポーツだ。

その過程を考えれば、「審判」の本質は、人々を楽しませるために必要な、スポーツを支える大切な人であり、決して批判の対象であってはならないのだ。

「ナイスプレー」が無い審判

審判の役割をとことん突き詰めれば、ゴーリーに似ていると感じる。

先述の通り、審判が注目を浴びるときはネガティブな理由がほとんどだ。

例え審判が完璧な判定を下したとしても、それに対し注目を浴びることもなければ称賛されることもない。
(審判団の中ではあるかもしれないが、それが表に出ることはほとんどない)

審判はただひたすらに、ミスが起こらないように注意し続けるしかないのだ。

そういった意味で、一つのミスが失点に繋がってしまうゴーリーに似ていると思った。
(ただやはり、ビッグセーブが称賛されるゴーリーと比べれば、審判の孤独さは計り知れない…)

ゴーリーが1試合をノーミス(失点に繋がらなくても)で完璧に終えられることが無いように、審判だってノーミスで完璧に試合を進行することは不可能に近い。

もちろん、完璧を求めることは当然だが、今の審判を取り巻く環境だとそれは厳しいと言える。(次章で詳述)

とにかく、審判はいつも孤独であり、「今のはいいジャッジだった!」なんて言われることが無いどころか、時に会場全体から「敵」としての視線を送られることもあるということをわかって頂きたい。
(選手やファンの視線から述べてます)

審判の労働環境

ここではアイスホッケー界において、不服に感じる判定が多くなるそもそもの根本的な原因を発見したい。

今季リーグ参入を果たした横浜グリッツは「デュアルキャリア」として注目を浴びているが、そのずっと昔から「デュアルキャリア」を体現している人たちがいる。

それが審判だ。

僕の知る限りアジアリーグの審判は、全ての方が他の仕事と並行して審判の仕事をしている。中には学校の先生もいると聞いている。

アジアリーグ1試合で主審を務めても、せいぜい数千円〜数万円の報酬が得られるだけだ。ラインズマンになると報酬はもっと低くなるだろう。(詳しくは知りませんが)

サッカーのプロフェッショナルレフリー第1級の資格を持つ審判でさえも、アルバイトをしているという話を聞いたことがあるので、アイスホッケーの審判が置かれた状況は想像に難しくない。

また、選手たちは毎日練習することができている一方、審判は毎日練習をすることは難しい。

週末に行われるアジア最高峰の試合が「ぶっつけ本番」になることが現実だ。

もちろんビデオなどを見て独自に研究している審判もいると思うので、全ての審判に当てはまるものではないが、普段毎日練習している選手をジャッジする立場の審判にとって、その審判技術向上を図ることが難しい環境だと言える。

そんな状況下で、ひとまわりも歳が離れた選手から暴言を吐かれる審判に対し、敬いの気持ちが湧いてくるのは僕だけではないはずだ。

今後、「審判をやりたい」と思える人がいなくなれば、

「本日の試合は審判不在によって延期」

なんてことが起きても何ら不思議はない。

日本アイスホッケー界において、審判の地位向上や環境整備も、今後の課題と言える。

競技普及には審判のレベルアップが不可欠

さて、ここまで審判を取り巻く現状を書いてきたわけだが、

「はい、では審判に文句を言うのはやめましょうー」

そんな言葉で終わるわけにはいかない。

アイスホッケーの普及発展のためには、競技を取り巻く全ての環境整備が必要であり、その中の一つに、「審判のレベル向上」は必須であると思っている。

数年前まで、アジアリーグのプレーオフのレフリー(主審)は、海外リーグから招かれた外国人レフリーが笛を吹いていた。
(確か資金面で招待できなくなったらしい)

アジア最高峰のリーグで、アジア人のレフリーが笛を吹けないという現実は、審判にとっても屈辱的なものだったと想像する。

現在、定期的に日ア連や各都道府県連盟主催のレフリー講習も行われているようだが、審判の技術向上は日本のアイスホッケーの未来を考えた時、必ず必要になってくる。

とは言っても、すぐにレベルアップを図ることは難しいと思うので、まずは審判の負担軽減をするべきではないかと僕は思う。

具体的には、テクノロジーを駆使して審判の判定をバックアップすること。

例えば、現在は(しれっと導入されていた)ビデオサポートシステムでゴールの判定ができるようになったが、オフサイドや重要局面でのペナルティーの確認にも使えるようにすること。

先述の通り、アイスホッケーは球技の中でもっともスピードが速いスポーツであり、プレーの判断は極めて困難。

北米では微妙な判定時(確かペナルティ以外)に、判定の再確認をリクエストできる「コーチズチャレンジ」が導入されているが、選手やチームにとって余計なフラストレーションを溜める必要がなくなっただけではなく、審判(ラインズマン含め)の負担軽減にもなっている。

アジアリーグに導入するとなると、コスト面と人員の問題がすぐにあげられるが、今あるゴール裏カメラ+ブルーライン上に1台ずつカメラを設置し、映像を即座にリプレイできる人員が一人がいれば実現可能ではないだろうか。

人員については、ゴールジャッジの2名を廃止すればいいと思う。ゴールにパックが入った時の赤いランプを点けるだけの人、この時代にはもう必要ない。
(実際に海外のリーグではもうほとんど廃止されているみたい)

審判のレベルアップとは少し話がずれてしまったが、日本アイスホッケーをよりよくしようと思う人間が連盟やリーグにいるのならば、審判育成、テクノロジーでの試合進行サポートを提唱する人がいてもいいのではないかと思う。

僕は今年からアスリート委員として日ア連に意見を聞いてもらえる立場になったので、このことについてお話できる機会があれば伝えるつもりだ。

審判のレベル向上のために、選手(選手会などを通じ)でお金を出し合うと言う議論もこれから出てくるかもしれないが、それについてはここでは触れないでおく。

最後に

僕はSNS(特にツイッター)を通じて、ファンの皆さんが普段日本のアイスホッケーに対して思っていることや、改善して欲しいと思っている書き込みを、よくエゴサして見ている。

今回、審判に対する記事を書こうと思ったのも、SNS上(一部?)でその話題が上がっていたと言うのも理由の一つだ。

僕は、日本のアイスホッケー界で素晴らしいと思うことが一つある。

アイスホッケーのファンの皆さん一人ひとりが、アイスホッケーの普及発展を前向きに考えてくれている、ということ。

どうすれば衰退していく日本アイスホッケーを盛り上げられるか、そのための問題点が何かを、ファンが意見してくれることはとても価値があることだと思っている。

ただ今回は、いつもネガティブな視線を送られる審判にフォーカスを当てたわけだが、審判は審判である前に、感情を持った一人の人間である。

どうか、批判や中傷だけで終わる書き込みは避けていただきたい。

また、これを読んでくれている選手(がいれば)にも言いたい。

不服な判定に感情的になることは十分理解できるが、そこで使うエネルギーを、ぜひ違う方向に向けて欲しい。

自分のエネルギーを今どこへ向けるべきなのか、選手はそのことをもっと考えるべきだ。

ただ、やはりそれでもおかしいと思う判定はこれから必ずまたあるだろう。

その時は、敬意を持った言葉遣いで質問するべきだと思うし、それでも納得がいかなければ、チームからの正式な抗議文として、リーグに訴えていけばいいと思う。

チームの監督はじめ、チームをマネジメントする側は、選手のそういったフラストレーションをコントロールすることも大切であると思う。

何れにせよ、僕たちは審判はじめ常に誰かの支えなくして競技をすることはできないと言うことを頭の片隅においておかなくてはならない。

長い文章になってしまい、また僕なんかの生意気な意見ではありましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。


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井上光明
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