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「note」をどうしよう?

「note」なんてもうやめようと思い、一年が過ぎ去った

 一年前になんとか「note」にもう一度関わっていきたいと宣言したものの、やはりここに関わることの虚しさを埋める手立てもなく、結局こんなに時間が経ってしまった。

 自分の書籍や写真集を何冊か出版社から刊行している手前、ここに関わることの姿勢は常に正していたいと思いつつ、なかなか自分を制することができなく、目的や目標はおろか、「表す」ということの本質を見失っていたように思える。

 それでも自分はここにいて、さまざまな葛藤を抱え、おまけに年柄、そろそろ後期高齢者の準備をしなくてはいけなくなった。だからといって、この「note」を高齢者の愚痴で埋めるつもりもなく、一表現者として、なにか「切り開ける」ものを提示していきたいと再々度思えるようになってきた。

 SNSのひとつとして、この「note」はあいかわらず奇妙な舞台としてここにある。独り言とは違う「文体」も「文脈」も、今もこちらに向かって差し出されている。綺麗にしっかり書かなければならないのだが、どうせ誰も読んでいないだろうという思いがいつも頭にあり、途中で投げやりになっていく。なんだか小学生の宿題をやっているようなものだ。まずはここから考え直せばよいのかもしれない。

 誰も読んでいなくとも、自分が読めればまずいいと。

 あーっ、こうして書いている途中にも再び、虚しさが押し寄せてくる。「note」との戦い。負けてもよいのだが、なんだか悔しい。よって、なんらかのアクションはとらねばならないのだろう。さて?



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大西みつぐ / 写真家
古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。