「CHIBA FOTO」 を見て (日記 )
「街をめぐる。写真に出会う。新しい世界が見えてくる。」と題して8月21日から9月12日まで13の会場で同時に開催されている、千葉市初の広域写真展。私も2度訪れ拝見してきた。以下はその「感想」をFacebookのタイムラインに載せたもの。何しろ、橋を渡れば千葉だし、稲毛など昔から懐かしい「近所田舎」。また出品作家の多くの皆さんも知っていることもあり、コロナ禍ではあるが期待していた夏場の催しだった。
8月31日
「 CHIBA FOTO」は13の会場で展示が行われています。千葉駅エリアと稲毛エリアです。千葉に馴染みのない方だと距離感がよくわからないかもしれません。馴染みのある私でも「案内が悪い!」と吠えてしまいましたが、出品者のお一人にお聞きしたところ、「主催側がこの緊急事態になり、コロナ感染者が増えたことで、観覧者をある程度抑制するという対応」になったようです。従って詳しい地図とパンフレットは準備されていましたが、会場のテーブルの上に積まれていました。それを見ながら4時間ほど会場を回りました。
感想としてはとても面白かったです。この「CHIBA FOTO」はもっともっと話題になっていいと思います。出品作家の裏付け、作品についてよくキュレーションされています。京都グラフィーの規模ではありませんし、観光的な要素はありませんが、「千葉」をあらためて知るという上で、また作家の仕事を理解するという上でとても有効な写真作品展示です。写真家だけでなく美術家も加わっているのもいいです。そして、展示場所とその展示方法も、奇を衒うものでなく、普通にしっかりお金をかけて作り込まれた空間となっています。
私は13の展示の内、9つ拝見できました。それぞれ細かく書きたいところですが、東京にいる方はぜひ見に行くと良いと思います。作家の展示とは別に地域のアーカイブを展示する企画「海の記憶を伝える」がとてもよかったです。海水浴場の記憶は、近所田舎としての近隣の歴史をしっかり伝えるものでした。こうした試みは京都にはなかったように思えます。そして、この「CHIBA FOTO」が今後定着するか否かということにも関わるでしょう。市民の視点は大事です。「写真芸術展」などという名称は取っ払うといいのですが、、、、、
千葉市民ギャラリー・いなげ
佐藤信太郎さんの展示(千葉市美術館さや堂ホール)
9月1日
歴史を体感する
稲毛の浅間神社の脇にある旧家。私の年齢でさえうろ覚えの人物とその妻に関わる家屋。「愛新覚羅溥傑と浩」が新婚時代に過ごした家だった。政略結婚ではあったが、浩という女性はラストエンペラーの弟とこの海浜の別荘で暮らした。昭和12年。近くの神谷伝兵衛の別荘とともにその頃の海浜の記憶を手探りで想像するのが楽しかった。この夫婦のその後はさらにドラマチックな出来事が続いたようだ。
千葉市ゆかりの家・いなげ
金川晋吾さんの展示(旧神谷伝兵衛稲毛別荘)
横湯久美さんの展示(旧神谷伝兵衛稲毛別荘)
9月7日
「CHIBA FOTO」の見逃した展示をみにいく。新井卓さんの展示には、ダゲレオタイプ作品だけでなく、茶室でのインスタレーションが加わっていた。いい感じになって、千葉公園でおにぎりを食べていたら、歯の被せものがポロリととれた。
最後は川内倫子さんの展示を拝見する。新しい生活に根ざした美しい作品。さらに続く子育てから、作品はどのような変化を見せていくのか興味深い。CHIBA FOTOを2日間見て、少し印象も変化してきた。帰ってからまとめてみたい。
新井卓さんの展示(千葉公園内好日亭)
足利美術館の学芸員の方も見にきていたぐらいで、「CHIBA FOTO」は見るべき人たちが見ているという感がある。1週間前にまわったエリアに「稲毛」が入っていたこともあり、つい「海水浴」で懐かしくなってしまったが、今日、新たな 2箇所の展示を見て、少し見え方も変わってきた。
かつての大邸宅、歴史的建物、茶室といったところでの展示であるから無理もないのだが、ちょっと上品で行儀よすぎる展示かなと段々と思えてきた。最後に見た川内倫子さんの作品も家屋全域での贅沢な展示だったが、市に寄贈された大邸宅ゆえの整頓された空間。作品はやっぱり新井卓さんの神鏡台のように「床の間」に飾るしかないイメージに落ち着いていく。その空間にあったはずの生活感と拮抗しないというのは別に悪いことでもないのだが、家屋、建物の重さが全体を支配しているように思えてきた。それでいいとも言えるし、これほど整えなくてもいいのではないかとも、、、、、、、千葉はお金持ち! のような。
昨年の10月、向島の工場で中里和人さんや造形大の学生の皆さんたちが展示した空間のように、直接有機的に関わってくる場の記憶、建物の質感が写真に何らかの作用を施すような展示もこの CHIBA FOTOにあるといいなと感じた。
川内倫子さんの展示(千葉市中央コミュニティセンター松波分室) は大木ナカという方が市に寄贈された邸宅。
9月8日
北井一夫さんという写真家を読み直す
12日まで開催されている「 CHIBA FOTO」での北井さんの作品は、それほど広くない会場にこれまでの足跡が展示されている。千葉だから「三里塚」という簡単な見方ではなく、初めての作品発表から最近取り組んでいる作品までを俯瞰しながら、北井さんと写真の関わりを考えることができる。写真美術館などでの大規模展示ではきっと見えてこない、作家としての様々な葛藤が小さなオリジナルプリントや色校などに残されていた。私がずっと疑問に思っていた、というよりも北井一夫という写真家について見失ってしまったかつての日本カメラ連載。果物やら石や木々を投げ出したように撮ったシリーズの必然が、この展示を見たことで答えをもらえたような気がした。「村へ」の撮り方との決別がとても身近なものとして入ってきた。そして、ずいぶん前、地下鉄東西線の電車の中で2度ほど一緒になり、柔和な顔で話をされていた北井さんを思い出す。
その北井さんの最新刊は、日本カメラ編集部にいた3人の編集者が立ち上げた「 PCT」から刊行された。「いつか見た風景」は全編70年代のカラー。雑誌用の写真は、多少の色落ちもあるようだが、時代の空気感がそのまま詰め込まれていて、妙な温もり感がある。リバーサルの色をデジタル補正して綺麗にしつらえることも必要ないのだなと正直思えてくる。何がどう写っているのかではなく、その風景全体の中で写真家である私はどこにいたのか。そのことを素朴に問えばいいのだろう。
期せずして「CHIBA FOTO」と「いつか見た風景」から北井一夫さんという写真家をもう一度読み直せたことはうれしい。
北井一夫さんの展示(千葉市美術館)
まとめ
初めての千葉市での試みは、しっかり作り込まれた展示場が本気度を強くアピールするものであり、相応の予算を準備した上での催しとなっていたと思う。もちろん写真展だけでなく、「千の葉芸術祭」の一環として行われているので、その評価も全体を通して見ていかなければならないのだが、「KYOYO GRAPHY」のように古都京都を巡りながらという観光的な要素もなく、市民が「写真芸術」に関心を持ち、かつ千葉市の時間軸を検証してもらいたいというようなメッセージは伝わった。折からの緊急事態宣言のため、せっかく作ったパンフレットなどが幅広く外部に届かないで、人流の抑制に傾いていったのは仕方がないことだろう。会場に行ってみてそれが理解できた。また参加作家も多少の温度差があり、「千葉」という土地を理解して取り組んだ作品だが、今ひとつ都心のギャラリーでの展示と同じような「並列」でしかないものもあったのが少し残念だった。
しかし、このコロナ禍以前からすでに指摘されていた全国の「アートフェス」の行きづまり感(内容も経済的な部分でも)がどこに行くのかという見通しの上で考えてみると、新たな「芸術祭」を持ってくるというのはとても難しい出来事デあっただろう。千葉の事情を全く取材しないで語るのは筋違いだが、この「千の葉の芸術祭」が「TOKYO 2020」と隣り合わせになっていることだけは感じられた。ある機運がそこに生じ、普段なら難しい「写真展」でさえ実現させてしまったのかもしれない。それはそれで「写真」にとって幸運なことだ。特別協賛は「キヤノン」。写真関連メーカーのこうした催しへの支援が以前に比べ難しくなっている現状を考えれば、まだ参入してくれるということは素直に喜ぶべき出来事だろう。しかし、今後の動向は必ずしも明るいわけでもない。むしろ、写真側からの支援のないまま、いかに写真を展示させていけるものかということを主眼に置く必要がある。メーカーをあてにして動くという時代ではもうない。
一方で、大きな収穫とも言える、写真が「地域のアーカテイブ」となりうることをこの都市部で表現できたという功績は今度の「 CHIBA FOTO」にありそうだ。それらは実のところ地味な仕事であるのだ。筆者が関わる山形県酒田市の近隣では行政側と市民側が土地の記憶を素朴な方法で写真を介在させ残してきた。そうした集積は単にその土地の「交流人口」を増やすという役目も何もしないが、未来へと続く貴重な証言としての意義は大きい。
千葉市に寄贈された裕福な暮らしを連想させる家屋が今回の展示の場所になっていることは、施設という物理的空間的な意味合いだけでなく、そうした暮らしと並行して営まれていった庶民の記憶もまた同等に掘り起こし保存していくことを保証するものであって欲しいと思える。ともあれ、「TOKYO 2020」が終わった今、「 CHIBA FOTO 2023」ぐらいまでいけるものか否か。隣町のいち写真家として期待している。