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連載「須田一政への旅」第6回

まるで「金太郎飴」のように、どこを切っても切っても須田一政が出てくる

網膜直結指先目カメラ

 2019年に須田さんが他界され、しばらくして奥様からキャビネサイズの写真を7枚お送り頂いた。そこには私の娘がまだ幼稚園の頃か、神田にあった須田さんのギャラリー「平永町橋ギャラリー」で動き回る様子がスナップとして連続的に写されていた。その時、須田さんが使っていたカメラは「ミノックスLX(あるいはEC)」。冷戦時代にはスパイカメラの称号があるくらいの精巧な超小型カメラ。暇つぶしのように押された気軽なショットだが、見ようによっては怪しい写真だ。この頃(1991年~92年)、須田さんは何かに憑かれたようにミノックスを懐に忍ばせて常時撮っていた。

30年前、私の娘がミノックスで撮られていた。そういえば、須田さんはこの時、椅子に座り、微笑みを浮かべながら矢継ぎ早にシャッターを押していたように記憶している。須田さんの網膜には何が残っていたものか。

 ミノックスに行き着いた顛末はどうだったのか。もともとカメラを次から次に替えて写してきた須田流の「道楽」は、カメラそのものの機械としての面白さよりも、それをなし崩し的に使っていくことで得られる現場の成立、あるいは一見無関心を装った介入というところに独自のカメラ操作術があったのではないかと今思えてくる。

 ミノックスの撮影は横長のボディを指先で縮めてフイルムを巻き上げ、元の長さに戻しシャッター押すという一連の操作。それらは撮影行為としては瞬時であり、だからこそ、例えば映画「女王陛下の007」でもジェームスボンドがなにがしかの証拠のためにチャチャッと撮影できたのだ。1938年ラトビアで生まれたこのカメラの数奇なる運命は、ヨーロッパの国境をまたいでいく「時代」の中で様々な付加価値を生んでいったものと思えるが、須田さんの個人的な興味は、その密やかさの中にある一瞬のイメージの凝結に、官能の域へと上り詰めていくリアリティを求めていたのではないか。それはまた、目と脳を直結させていく装置という近未来的な玩具への楽しみ方でもあった。

写真集の表紙中央にはミノックスの一コマ(画面サイズ8×11ミリ)がデザインされている。この小さな画像に封じ込めたリアリティは秘密っぽい世界のように思えて、実は私たちの「見ること」の欲望そのものなのかもしれない。

 2018年に禅フォトギャラリーから出版された写真集「網膜直結指先目カメラ」はミノックスによる430点のモノクロスナップ集。まるで「金太郎飴」のようにどこを切っても切っても須田一政が出てくる。私はこれまで拝見してきた須田さんの写真集の中では、この本が一番須田さんの写真行為を言い当てていると思っている。ミノックスの小さファインダーを覗き、有無を言わせず指先から網膜へ、そして脳内に取り込まれていく自動筆記法のようなイメージ。それは私たちが立ち会っているはずの日常が案外不確かで危ういものであることを暗に示している。どれもが幻のようにも思えるし、エッシャーの絵のような世界を私たちは絶えずクルクル回っているのではないかと思わせる、不思議な既視感に満ちた写真群だ。

                          日本カメラ2020年6月号


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大西みつぐ / 写真家
古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。