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連載「須田一政への旅」第5回

「煙突のある風景」には、単なる郷愁だけでなく、確固たるシュールなイメージが感じられる

直立する風景---須田一政と煙突---

  須田さんが江東区の路上でまさに写真を撮ろうという直前の一瞬を後ろから私が写したカットがある。1980年代。当時はハッセルブラッド500CMに80mmという定番の組み合わせで須田さんは町を徘徊していた。須田さんの格好はラフなジャンバー(この時は珍しくクリーム色)に「テンバ」のカメラバック。両足をきちっと揃え姿勢正しく、7、8m向こうの自転車の女性を見つめている。あと4m近くにやってきたらスーッとカメラをアイレベルに構えハッセルのシャッターを2回は押そうという、その時だ。この直立してカメラを構える姿と、その頃よく撮影されていた「煙突」の存在が私には瓜二つのイメージで重なる。

「煙突のある風景」(place M )は須田さん他界後の昨年4月末の発行。それぞれの写真には撮影地が記されている。喪失してしまった東京風景でもある。

 2019年の春に刊行された「煙突のある風景」( Place M)は、1980~82年に撮られたシリーズ。「さよなら煙突」というご本人の跋文には、『結局、「煙突のある風景」は煙突が高かった時代への郷愁だったのだ。』と書かれている。須田さんの「郷愁」はふるさと神田あたりの町風景や幼年時代の記憶を辿った写真もたくさんあるが、「煙突」もまた大事な「登場人物」だった。いやご本人がいわれるように「イコン」だった。
 近代化を経て、煙突の見える風景から生み出される「鉄」をはじめとした強い日本の象徴。空襲。跡形もなく爆撃で破壊された東京下町風景、高度成長と公害、厄介者の煙突。煙突とともに流れた歴史は、そのまま庶民史、そしてそれぞれの個人史に綴られていった。須田さんもまたお父さんの商売(スレート会社)の記憶とも重なり、煙突を聖像のように気高い存在としてイメージを更新していったようだ。
 写真集の中に、当時賑やかな演劇活動を行なっていた唐十郎率いる「状況劇場」の公演ポスターの部分を写した一枚がある。昭和の頃千住にあった「お化け煙突」に関わる戯曲「お化け煙突物語」。私も両国でこの演劇を見たが、看板女優・李麗仙の舞台にうっとりしたことを須田さんと語り合った記憶がある。「煙突」への追慕がこの時代いろいろと姿を変えて須田さんの写真生活に根ざしていたことがわかる。

ニコンZ50で写した私の煙突。煙突というモノ自体の唐突なイメージに加え、偶然そこに入り込んでくるモノがある場合、多分、須田さんも歓喜してシャッター押したのではないか。

 煙突を見つけると無性に写真を撮りたくなってしまう衝動は、ひょっとしたら男性特有の「反応」のようなものなのかもしれないが、須田さんの「煙突のある風景」には、単なる郷愁だけでなく、確固たるシュールなイメージといった主張がそこに感じられる。そして、被写体に合わせ直立することの妙な共感があるのではないかと思えてくる。当然、その後ろにいた私もそこで硬くなって直立していたのだろう。 

                       日本カメラ2020年5月号   

古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。