連載「須田一政への旅」第11回
旅から旅へと軽いフットワークでシャッターを押し続けていた須田さんが、独自に確立した「芸」である
「風姿花伝」という指南書
律儀に正座する須田さんの顔には、あろうことか駄菓子屋の「変装メガネ」。ちょっと照れつつ俯き加減で手を組み、まるでご自分の写真集「風姿花伝」(1978年)に出てくる被写体になってしまったかのようだ。確か80年代半ば、ゼミ合宿の大阪の居酒屋でめずらしく私が撮った記念写真。
70年代、須田さんは日本各地を旺盛に撮り歩いている。「風姿花伝」は『カメラ毎日』、さらにその後の「民謡山河」は『日本カメラ』に連載された。この2作、一見すると同じように地方のお祭を主題として撮られているように思えるのだが、微妙に違う。前者はあの「鏡台」(天城峠・福田屋旅館)の写真に集約できるように、日常から非日常へ、再び日常へと旅する写真家のたった1人の視線とうつろいを感じてしまう。後者はもちろん同じように精力的に撮られているが、実のところ師弟ともいえる写真評論家・田中雅夫さんとの呑気で楽しげな民謡旅日記だ。しかし「風姿花伝」と寸分も違わないハッセルのフレームで、須田さん独特の距離感と微妙な瞬間が写っている。
それらは、まさに「伊豆の踊り子」の「門付け芸」ではないが、旅から旅へと軽いフットワークでシャッターを押し続けていた須田さんが独自に確立した「芸」であることを物語っている。当時私たちは誰もがそこに惚れ込み、並々ならぬ作家性を強く感じていた。
「風姿花伝」はよく知られているように、室町時代、世阿弥が父から口授された家伝書、能楽論だ。写真集「風姿花伝」には白塗りの人や小枝を手に持つ、あるいは咥えた人、ストロボや強い太陽の光にくっきりと浮かぶ人などが次々と登場する。「花」のある「ハレ」。そこにこそ面白味があるという。作家の富岡多恵子さんが「人間がかくす暗闇、ハレ姿を写すことで日常の闇があらわされている点が、もっともおもしろい」(「写真の時代」毎日新聞社1979年)と評したように、ただのお祭りの人間模様ではない、そこにいる人間の奥底を覗き込もうとする好奇心。あるいは自己をもそこに投影していくかのような研ぎ澄まされた集中力がシャッターと呼応した結果の連なりがこの写真集「風姿花伝」なのだ。それは世阿弥が記した口授のように、幻の芸としてのスナップショットを直接写真そのものを見ることで教え伝えようというものではないかと今にして思える。さらに須田さんの「風姿花伝」は「風流(ふりゅう)」でもある。ひとつの美意識だ。「わび」や「さび」を超える写真心。そう私が言い切ったら、それこそ粋だった田中雅夫さんに叱られそうだが。
日本カメラ2020年11月号