写真展を終えて・なぜ「写真」は売れないのか?
今回の個展は昨年から続く「50周年」の勝手な企画展の第二弾。昨年10月のEPSON・エプサイトギャラリーでの「島から」に続く展示でした。
1970年代のモノクロ・オリジナル写真に絞ったのは別に説明させていただいた通りです。
KKAGの桑原さんのお力でとてもいい展示をさせていただきました。心より感謝いたします。1980年に新宿ニコンサロンで展示した作品の原形がいくつか混じる今回のプリントは、決してきれいなものでなく、かなり下手くそな20代写真青年のその都度の年のプリントでした。それを焼き直すこともなく、デジタルプリントとして新たなイメージを提示することなく、経年変化の「紙」も含めそのまま展示しました。酢酸の匂いではありませんが、時代の空気感が伝わればという素朴な気持ちでした。そしてそれはほぼギャラリー空間の中で達成できたと自負しています。
さて、そのプリントですが、KKAGもコマーシャルギャラリーに準じるギャラリーとの心得がありますから、個展を行うこちらも、プリントを購入していただければうれしいという思いで展示しています。ニコンサロンなどで展示をする場合とは少し気持ちも異なります。今回はヴインテージ27点展示(モダンプリント1点77000円)。そして写真集とオリジナルプリントの限定1 セット(44000円)を販売としましたが、残念ながらご購入希望者はいませんでした。私としてはこれまで同様、そうなることは想定していましたが、ギャラリーに申し訳なく、最終日は穴があったら入りたいぐらいの心境でした。
写真プリントの販売という出来事が、現在、日本でどのように動いているのかについてほとんど知らない私が何をか言わんやですが、最近は、同時代のよく知る写真家たちが中国などに出向き、ワークショップや写真展を開催しつつ作品を販売しているという話を聞いています。日本を離れて、個人としての写真家が海外での展開に活路を見出すということは、それこそ1970年代にも何人かの方々が実践されたことは知っています。時代は常に繰り返されていくものでしょうし、狭い日本を飛び出して、写真の価値を上げていくことは大事かと思えます。そうした写真家たちの行動力は見習うべきかもしれません。今回の展示で、あらためて日本でしか活動できていない自分の写真活動についての無念の思いを強くしました。写真が売れない原因のひとつはそれ。
写真を展示し多くのみなさんに見ていただくことが本来の目的であり、そこからプリントが売れていくことは二次的な出来事ではありますが、作家側もギャラリー側もそれを期待している事実。そして広告、出版などの仕事の一環として写真を展示するものと違い、作家にとってはいかばかりかの収入を得るための実践になります。かつて、20代の時には、「写真」が「絵画」のように売買されるなど信じられなかったことを考えますと隔世の感があります。しかし、現在それらの動向について詳しく知る機会はほとんどありません。コマーシャルギャラリー側の裁量で関連写真家とのやりとりでしか見えない「情報」として動いているのではないかと思ったりしています。もともと基準も標準もない世界ですから、それが当然ではありますが、どうも写真の「売買」については曖昧模糊とした雰囲気があり馴染めない出来事という思いです。そしてそこに「美術館」などというものが加わることで、さらに複雑になっていくのでしょう。ビジネス、政治経済、国家戦略、、、、、とつながる事態?
そう考えますと、今回も前回もその前も「写真が売れない」ということでそれほど落胆することはないかもしれないという気持ちになってきます。なにかこの50年いまだに、日本では「行き届いていない事実」が伏せられたままにあると思っています。したがって、いつかは私も買ってもらえるだろうぐらいでいいかも? と。
とりあえず、今回の12日間の個展ではまったく作品収入のなかった写真家の愚痴。
古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。