心変わり~心霊現象~

 

 私がまだ心霊現象について、全く信じなかった頃の話である。
 今も昔も京都は、言わずと知れた神社仏閣の街である。学生の街でもある。私は、学生たちからはイニシャルをとってKさんと呼ばれていた。
「Kさん。お化け、信じます?」という問いに
「お化けなんて、いるわけがない。本当に存在して科学的に証明されていたら信じるけど」とまで言った。
「今日、これから清滝トンネルに行きますが、一緒に行きますか?」
「本当に、でるんだろうな」と即答してしまった。
 何でも、京都の心霊スポットの中でも、清滝トンネルは別格らしい。落ち武者を見たとか、白装束の女性を見たとか、途中で車に乗せてあげたら、気がつくと姿はなくシートだけが濡れていたとか、火の玉が飛び交っているとまで言う。今のようにインターネットがあれば、早速、調べてみて真偽を自分なりに結論づけるのだが、その当時はもっぱら口コミが主で、逆に口コミが驚くほどのスピードで拡散していた時代でもあった。
 売り言葉に買い言葉、「行こう、すぐに」と答えると、「いや、まだです。心霊現象が起こる時間はもっと夜中です」
「エッ、時間指定があるのか。でも、逢魔が時というから、今くらいがベストじゃないか? 深夜にだけ出没するお化けがいるんだったら、それは自分勝手だよなぁ」と呟いてしまった。
「行って後悔しても知りませんよ。今日、学食でゼミのメンバー五人と話していてそのうち三人が見たことがあると言ってました。その三人に僕は入っていませんけど。何なら行って確かめてこいとか言われたもんで」
「さては、お化けがいるって信じてるな! だったら、晩飯の時間をずらして行こう」
「逆に、どうして、信じないのですか?」学生はムキになって訊いてきた。
「見たことも感じたこともないし、心霊写真とか結構テレビのでっち上げという話もあるし、そもそもお化けって、やっぱり気体か? トンネル内は空気があまり循環していないから、時々温度差のある空間に触れたときにハッと勝手に思い込むんじゃないか」
「言い切りましたね」学生は、随分、自信ありげに言い返してきた。
「写真そのものには写らなくても、決してあり得ない場所に不思議な影が写っていたりすることもあるそうです」
「じゃ、Uさん誘って、写真撮ってもらおう。なんたって、質流れ寸前で買い戻したという高価なマクロレンズ付けているから、お化けもしっかり写ってくれるんじゃないか」
と、いうことで、Uさんに車を出してもらって、夜中にお化けを学生二人と大人二人が見に行くことになった。
 その時、私にはお化けなんていない、心霊現象も何かの偶然だと信じ切っていた。科学的に証明できない限り、嘘のでっち上げだと思っていた。
 夜になった。季節は夏だったような記憶がある。本当は、零時を過ぎないとお化けは出ないらしい。じゃ、晩ご飯はどうするの。いろいろ店あるのに、零時過ぎたらほとんど閉まってしまう。
「じゃ、九時に出発しましょう。車で十五分程度ですから、アッという間です」
「問題は、九時までにUさんが来るかだな」
 ところが、その日に限って、時間に極めてルーズなUさんが、時間通り来た。こっちのほうが怪奇現象だ。この前なんかは近江八幡駅前のポストの前で三時間も待たされた。携帯電話のない時代のことなので、今思えば懐かしいエピソードである。Uさんにカメラ持参を確かめる。フィルムは、高感度のいいのが入っている。ストロボは? いろいろ話しながら、ストロボによる乱反射ってあるよな、だから、不要だと結論がでた。車中、お化けのいる・いないの話で盛り上がった。Uさんもお化けは信じない。でも、深泥池には、何かありそうだという。四十過ぎた人が何を言い出すんだ。結局、まったく信じていないのは私一人だけだったのである。車を脇に停めると、人がうようよいる。「これ、みんなお化け目当てか?」
本当にいるとしても出にくいシチュエーションだな。三十人ほどが、トンネルの外からながめたり、トンネルの中を歩いたりしている。
「ひととおりのことをするか」と私は軽い気持ちでいった。
「ひととおりって、何するのですか?」
「だから、トンネルを向こうまで歩いて行って引き返してくる。その間にUさんに適当に写真をとってもらう。本当に出たら出たで、その時どうするか決めたらいいでしょう」
 かくして、四人は恐る恐るトンネルの中を進んでいった。時々、車が狭いトンネルを通ってくる。生活道路として、このトンネルを通る人も大変だな。夜中にゾロゾロと側道を歩いている人がいると、危なっかしくて運転も緊張するだろう。
 一往復した。「もう一回、行くか」と聞くと、学生は「いや、もういいです」と即答してきた。「やっぱり、いないだろ。科学を信じなさい」
「いや、今度は、お化けを信じている友達と来ます」
「お化けって、人、選ぶのかな?」
「そりゃそうでしょう」
「それより、メシ、行こう。もうペコペコだ」
 帰り道に小洒落た喫茶店があった。
 名前は、「ピノキオ」。店内はカレーのおいしそうな匂いで充満していた。

 テーブル席がいっぱいだったのか、テーブル席自体がなかったのか、窓越しのカウンター席に四人並んで座った。
「何が写っているが楽しみだな、で、Uさん何枚撮ったの?」
「三本」すぐさま、Uさんは答えた。
 まさかと思った。割とこの人の性格は熟知している。たった、三枚ではないはずだ。
「ひょっとして、フィルム三本。高感度で、たぶん、三十六枚撮り」
「その通り」
 うわー、美味しそうなカレーが前に出されても、にわかに食欲がわかなくなった。合計で百八枚。それにしても、なって意味深な数字。
 でも、やっぱりお腹はウソをつかない。あまりにも勢いよく食べたので、白米だけが随分残ってしまった。
 店の人(多分女性だったと思う)は、「ルーを追加しましょうか?」と聞いてきた。
 エッ、ルーの追加なんて初めてだ。「お願いします」と白米だけが残った皿を渡した。すぐに白米を覆うほどルーの乗っかったカレーが戻ってきた。
 ピノキオは、それ以来行っていない。清滝トンネルもそれっきり行っていない。ネットで調べると、古戦場の跡で京都ではやはり有名らしい。数年後、会社の同僚にその話をしたら、「お化け見たさに行ったの?」と呆れた顔で聞かれ、「まあ、美味しいカレーを食べただけかな」と軽く答えた。生粋の京都人に、お化けが出る出ないの話はそれっきりしなかった。

 清滝トンネルの件は別にして、今は、なんとなくそんな科学でも立証できないようなことがあってもいいのではないかと、考えが変わりつつある。
 昔、父親から、祖父が病気で寝こんでいたとき、「今日は、錦帯橋まで行ってきた」と話したそうである。「景色がきれいなところだった」と祖父は付け加えたそうだ。祖父は、大阪より西には行ったことがなかったと聞いている。
 その後、文藝春秋に立花隆氏が「幽体離脱」の特集を載せていた。すぐに、NHKの特集番組も放送された。田中金脈問題を掘り当てた人が言っているのだから、ひょっとしたら本当なのかも知れない。
叔父が癌で苦しんでいるとき、私は病室の隅っこの椅子に座って、雑誌とテレビで得た幽体離脱のことを考えていた。もし、叔父が幽体離脱していたとしたら、どの辺にいるのだろうか? 窓側のカーテンレールの上かな? 
「叔父さん、辛い思いをしているのなら、もう頑張らなくていいよ。叔父さんの人生は、やることは全部とはいえないけど、やりきっただろうし、後悔があるとすれば、一日一升の酒を飲むくらい酒豪だった肝臓は元気で、皮肉にも胃癌となったころかな。兄や姉に見送られて先に逝くのも辛いかもしれない。でも、仕方ないでしょ。三つ下の弟が癌で亡くなったときに、わが家系は癌筋に間違いないと慌てて癌保険に入ったと言うし、健康診断も半年に一度受けていたというから、やるべきことはやったわけだし」と心の中で言っていた。
その夜は、医者がびっくりするほど小康状態になり、みんないったん家に帰ることになった。
 翌朝、叔父はすやすやと眠るように息を引き取ったらしい。
 私の心のつぶやきが聞こえたのか、このことは息子である従兄弟にも、嫁である叔母にも、誰にも言っていない。

 転勤で、関東に飛ばされた。滋賀から、一人来る私を公私に気を使ってもらったのが、Y部長だ。聞くところによると、その時既に癌に冒されていたわけだが、なんとか、薬の力で入退院を繰り返し、痩せた体が更に痩せて長い闘病生活ののち亡くなられた。次期部長が、何故だか、サイドテーブルの椅子と備え付けの椅子を交換した。私の席から振り返ると、亡くなられた部長の椅子が最初に目に入る。一日中仕事中じっと監視されているみたいだ。
 あるとき、こんな声がした。
「バカヤロー。仕事しろ、仕事」
 確かにその時は、週末実家に帰るため、こっそり新幹線の予約をしていた。声がした方をみると、ただ部長の椅子があるだけである。
まずい、見つかっちゃった。Y部長はじっと座ってみんなの仕事ぶりを監視しているのじゃないか。サイトを閉じて、隣席をみると同僚が盛んにネットサーフィンを楽しんでいる。ひょっとして、これのことか、少し安心しつつ、やっぱり、科学では実証できないことがこの世には存在するのじゃないかとだんだん思い始めた。
 科学の先端にいる外科医が、手術前にお祈りしたり、決まったルーティンをしないと、メスが握らないというウソのような話を看護師に聞いたことがある。それは、一人だけじゃない、複数いるらしい。一年の最初に一日に一斉に神社や寺に初詣するのも、よく考えたら不思議な話だ。
 昨今の大ブームの前から、私は祖先の影響か御朱印を集めるのが趣味で、見知らぬ神社や寺を訪問したときに、ごくたまにではあるが境内に入るとゾクゾクとした経験がある。それは、何かを感じたという行為で、その感覚は人には伝えにくい。あちこちの有名墓地めぐりをするようになったのも何かの糸で惹かれているのかもしれない。

 ピノキオのマッチを見ていると、たった一回しかいったことがないのに、いろいろなことが不思議と思い出される。あの時の学生が、「お化け、信じます?」と再び聞いてきたら、「世の中には少々摩訶不思議なことがあってもいいんじゃないか」と今では答えそうだ。「Kさん、歳、とりましたね」と笑われそうだが、人間長生きすれば、不思議な事もいろいろ体験する。こういうことは、生きている間に気付いて良かったのかもしれない。
 住所をたどって、ピノキオの場所を探してみたが、結局、わからず仕舞いだった。Uさんの写真も、イエローカメラで一応べたやきしてもらったが、それらしいものは一枚も写ってなかった。店員は、「全部、ぼんやり真っ黒ですが、これで良かったですか」と訊いてきた。「よーく見ると何かが写ってるんです」と答えたら、店員は理解できないというような顔をした。四つ切りでプリントしたら、ひょっとしたら何かが写っていたかもしれないが、ネガも写真も行方不明になった。残っているのは、今はもう存在しない店のマッチだけだ。

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