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幸せに生きるとは
今日は幸せとは何かについて考えたり調べてみます。
「幸せ」や「幸福」を辞書で調べてみるとこんなことが書かれてありました。
恵まれていて、十分に満足していること
恵まれていて、苦労や心配がなく、心が満ち足りていること
娘が卒園記念でもらった国語辞典で調べてみました。余談ですが、最近娘に言葉の意味を質問されたときに一緒に使ってるんです。
さて、僕は少しだけ、この「幸せ」の説明文に違和感を感じました。
否定してるわけじゃありません。幸せの最小単位の意味としてはこれであっていると思います。
つまり、この説明文は、一時的な、幸せである瞬間の場面だけを切り取って言い表していると思うんです。
人生全体で見た時に、当然辛いこと、心が満ち足りていない瞬間があるわけで、それでも「あー幸せだなー」って思うことがあるんです。
僕が知りたいのはそういう意味での「幸せとはなにか」なんですね。だから、苦労や心配があったとしても、幸せは幸せなんだと思うんです。
では、それを踏まえた上で、僕が考える「幸せ」とは何か。
幸せとは、自分の心を満たす方向に進んでいられる状態のこと
些細なことも含めて、不平不満がゼロな人間なんてほとんどいないでしょう。人生は選択の連続であり、失敗することもあるでしょう。
それでも、自分が望む方向を見失わずに、鈍間でも良いから進み続けることができれば、それ自体が幸せであって、きっとその先にも幸せがあるのだと思います。
ただ、この定義にもちょっと問題がありました。
他人を不幸にしてしまうことが、自分の心を満たすことになってしまったらどうすれば良いのか。
幸せかどうかは、あくまで個人に帰属することです。ただ、私たちは社会の中で生きていかなければならないから、自分さえ良ければいいというわけにもいかない場面が出てくるでしょう。
家庭の中にいると、本当に本当に些細なことでそう感じます。本当に本当にくだらないけれど、僕は辛〜いカレーが食べたいのに、家で作るカレーは甘口です。ジャワカレーのスパイシーブレンドが食べたい。
そして、社会の中で生きていく上で避けられないのは、対人関係です。
アドラー心理学に「すべての悩みは対人関係の悩みである」という名言があります。
私は、心理学をしっかり勉強したわけではありませんが、確かに対人関係が日頃の気分やストレスにめちゃくちゃ大きな影響を及ぼしていることは体感的にもわかります。
では、社会の中で生きていくことを前提に幸せを再定義して、僕にとっての幸せをひとまず以下のようにします。
幸せとは、他者への最低限の配慮をしつつ、
自分の心を満たす方向に進んでいられる状態のこと
他者への最低限の配慮って何よって思うかもしれませんが、安い表現で言うと、金品を奪うとか殺すのはダメよってことです。そもそも犯罪ダメですけど。
僕が言いたいのは、他者の奴隷になることはないってことで、他者のことも尊重しつつ、自分を大事にしたいよねってことです。
今どきあまりいないと思いますが、転職するのに自分が今辞めたら同僚や上司、後輩が困るだろうからってのは気にしなくて良いし。
辛いカレーが食べたれけば作ればいいし。それは違うか。
あまり深掘りできてないと思うけど、今日はここまでにします。
いやー今日も少し整理できた。すっきり。