誰かの負の感情と魂を肯定するCreepy Nuts『Doppelgänger』
Creepy Nutsが『Doppelgänger』という新曲を出した。
これまでのCreepy Nutsは、R-指定さんのラッパーやCreepy Nutsとしての心境を歌にしたものが多かった。ラッパーとしての自分を魅せつけてやる、という歌が多かったが、去年リリースされた『otonoke』はカマしたその先が描かれていた。聴いている人の中に『歌』として入り込んでいくという歌だった。今回の『Doppelgänger』はとうとう存在として身代わりになるという歌詞になった。
歌と歌詞はこちらから。
1.Doppelgängerを聴いた第一印象。
すぐに忘れてしまいそうなので歌を聴いた第一印象を書く。
・Bling-Barn-Barn-Bornのような子どもも楽しめる歌ではない
・ハッピーではない
・間奏が多い
・最後がYouTubeの個人チャンネルの終わり方みたい
・なぜか中学12年生を思い出した
・上がり下がりが少ない、リズムが一定
・女の人が笑ってる
第一印象はかなりしょぼいが、きちんと考察したのでできれば考察部分だけでも読んでほしい。
2.歌詞カードに出てくる知らない言葉を調べた
①Doppelgänger:ドイツ語
Doppelgängerはドイツ語でどう説明されているかChatGPTの回答。
Jemand, der einer anderen Person zum Verwechseln ähnlich sieht.
(別の人と見間違えるほど似ている人。)
Ein phantomartiges Wesen oder eine Erscheinung, die einem Menschen gleicht.
(幽霊のような存在や、ある人物にそっくりな現象。)
ちなみに日本語でも調べたら上記に加えて、
「医学においては、自分の姿を見る現象(症状)を「autoscopy」、日本語で「自己像幻視」と呼びます。」
という意味もあるらしい。
②MAD
1.MAD(マッド)
既存の音声や画像、動画などを編集・合成して再構成した二次創作の映像作品
2.mad(狂っている、ばかげている)
③ヤンデレ
好意が強すぎて愛情表現が暴走してしまう様子
④アスタラビスタ:スペイン語
「また会おう」「さようなら」、ターミネーター2の台詞でもあるらしい。
⑤paper chase
ウサギ狩りごっこ(イギリスの子どもの遊び)
煩雑な書類作成業務(アメリカ英語)
学位取得への努力(アメリカ英語)
⑥権化(ごんげ)
神仏が衆生を救うために仮の姿で現れること、またその仮の姿や化身
⑦エンドルフィン(endorphin)
脳内で機能する神経伝達物質のひとつである。 特に、脳内の「報酬系」に多く分布する。 内在性鎮痛系にかかわり、また多幸感をもたらすと考えられている。
上記の歌詞サイトで表示される歌詞を段落区切りし、タイトルをつけて考察した。
(音楽用語はサビしか知らないので、分け方の名称がわからなかった)
3.歌詞考察①「俺」ではなく「オレ」に問いかける部分(聞いてっか?オレ~引っ込んでろyeah yeahまで)
音が右左の交互から聞こえてきて、若干歌い方が違う。dawnに近い声の大きさや強さを抑えた歌い方である。
過去の楽曲のタイトル、「かつて天才だった俺たちへ」「俺より偉い奴」など、「俺」の表記は漢字だったのに、この部分はカタカナ表記である。「人間離れ」をどう捉えるかは別として、基本的にネガティブな言葉が並ぶ。
「しつけーなオレ 引っ込んでろyeah yeah」でしつこいオレとしつこいと思うオレがいる。ちなみにyeah yeahはCreepy Nutsの楽曲でもよく使われているのでこの部分はR-指定なのかもしれない。
そしてこの「オレ」、本当に引っ込んでしまい、このパート以降は「俺」表記になっている。「オレ」は俺の中に共存する過去のオレなのか。YouTubeのコメントによると、この部分で本当に入れ替わってるらしい。
4.歌詞考察②「目」の描写が多い第三者が登場する部分(やったらめったら~ドッペルゲンガー)
ここで、Bling-Bang-Bang-BornのBling-Bang-Bang-Bornの時のような太い歌声に変わる。
MADなメンタル、ヤンデレ目なBRAIN
普通、逆じゃない?
ヤンデレ目なメンタル、MADなBRAINの方がしっくりくる。先ほど挙げた通り、MADには気が狂ったという意味とどこかから借用したという意味があるので、心も誰かからとってきたという意味なのか。頭で暴走が止められなかったというのか。
思えばどっから来てどこへ行った?アスタラビスタ
過去のライバルが消えていった。生業などで歌わていたライバルはいなくなってしまったみたいだ。あれだけ戦意を燃やしていたのに、また会おうって言ってくれている。懐が広い。
穿った目ん玉しか持ってねーヘイター
あんたら目掛け往復ビンタ
これも穿った頭じゃないか?と思うけど、頭も心も使わず目だけでヘイターになっているという嫌味なのか。この歌詞では「目」が多用されているが、「心」と「頭」は誰かや何かの流入の可能性があるが、目だけは本物だという意味合いか?言うまでもなく「目」だけを信じるのではなく、まっとうな「心」と「頭」も必要である。
そして、往復ビンタなので本当にfade awayしてる。ちゃんと往復ビンタの効果音まである。ジャケット画像も往復ビンタじゃないかと思う。
そんなライバルもヘイターも俺のドッペルゲンガーである。
5.歌詞考察③第三者と俺の融合部分(俺お前の~カマしますか)
俺は「痛み」「怒り」「煩わしい魂」の権化だと歌っている。そしてそれらを「手放しで肯定してやるから鏡覗いて」と。
つまりは、全ての感情を肯定するから、まずは自分の感情を知って(鏡を見て)、と。
注意すべきは「感情」と「魂」の肯定であり、「言動」の肯定ではない。いくら痛みや怒りがあっても、それをよくない行動で昇華することは肯定していない。
ちなみにCreepy Nutsの楽曲は負の状況や心境もあるが、それに対して否定しない。本当に手放しで肯定している。
自分だけは…でも結局Mr.nobady
誰でもあり 誰でもない
この楽曲一番好きな歌詞である。
誰かにとって価値のある存在だけど、誰かにとっては誰でもない。
Mr.R-指定、Mr.DJ松永と言うことはできるが、Mr.Creepy Nutsとは言えない。つまり、Mr.nobadyは、誰でもあり誰でもない唯一の存在なのだ。
逃げ道ならコッチ
鎧であり、仮面であり、
着ぐるみかつ戦闘機、身代わり、
生まれ変わり、
まあ何でも良い…
出るエンドルフィン
長いので歌詞サイトから引用。
誰もが思春期、大人になってからも本当の自分について考えたことがあるだろう。他人に見せている自分は何者なのか、本当の自分を見せたら嫌われるんじゃないか、と。魅せたい自分と見られたくない自分の差に悩む人は多い。その「魅せたい自分」の呼び方を何でも良いと言ってしまっている。つまり、それをポジティブに捉えようがネガティブに捉えようがどっちでもいいと。
「魅せたい自分」によってエンドルフィンが出て幸せになる、それなら俺が裏側になりますよ、幸せだけ味わってください、と歌っている。
思春期に聴いていたらどれだけ救われただろう。
Creepy Nutsは、「合法的トビ方ノススメ」に代表するように、俺たちの歌でエンドルフィンへ導くというものが多かったのに、ここに来て存在?歌じゃなくて存在でエンドルフィンに導いてくれるの?神?
しかも最後に俺がオモテかウラかはどっちでもいいって言ってくれてるし、
好きな時に入れ替わってかませるらしい。私もライブでかましたい。
悪い自分はドッペルゲンガーなんだと思うのは逃げかもしれないけど、精神的にはすごくいい。
6.歌詞考察④一人称がない部分
(昔から呼び名はあるけど〜アイツ)
転調はないが歌い方が変わる。
過去の楽曲では歌詞の最後の母音が無声音化し、フェードアウトしていることが多かったが、この部分では最後まで力強く歌っている。
ここには俺もオレもいない。
でも自分のことが書かれている。
漲るパワー!うーわー!というボツにしてもおかしくない歌詞まである。
Creepy Nuts R-指定としての俺から、鎧をとった一人の人間、あるいは父としての描写に変わっている。
いろいろ言うてきましたけど、俺も生身の人間ですねん、みたいな感じ。本 誰でもあり誰でもない。
7.これまでの楽曲との比較
①矛盾
1人の顔して御輿を担ぐとあるが、
俺より偉い奴で「俺は担ぐより担がれていたい MIKOSHI」と歌っている。
R-指定さんがこの曲に関して、今の自分と昔の自分は違うし未来の自分も違う(大意)と言及しているので、わざとこの歌詞を入れたのではないかと思う。
②変化
「みんなちがってみんないい」という歌では、その人の状況やスタイルを批判していた。また、ヘイターへはラップで魅せつけてやると歌っていたが、今回は誰かの「負の部分」を肯定し、それ俺のもの、と言っている。
もはやラッパーですらない。この歌で、歌に関する言葉は「バース」だけだった。
もはやヘイターですら敵ではないし、更生(この言い方は良くないが)させようとする気概まで感じる。
8.最後に
最後にこの歌で一番すごいのは、
しれっと背後に立つ 紛れる観衆、だーれも知らないアイツである。
自分が出演したフェス?を観衆に紛れて見ていたDJ松永さんのことではないかという誰かのつぶやきをXで見た。
みんなドッペルゲンガーなのに松永さんだけがドッペルゲンガーではない。
歌詞は他人がリンクするかもしれない自分の経験や心情を書くが、音楽は誰かのMADではいけない。音はドッペルゲンガーになれない。
それが松永さん、だと。