フワちゃんの件で思うこと、思い出したこと。私はやす子だった。

フワちゃんとやす子の件について敬称略で書く。

これまでいろんな芸能人の不祥事を見てきた。
推しが不祥事で活動休止になって、早く戻ってきてほしいと思ったこともあったし、謹慎しすぎじゃないかと思う人もいた。

どの芸能人も心から反省しているように見えた。

そして、今回のフワちゃんの件。
私は動向が気になって仕方なかった。

こんなタイトルのnoteだが、私はフワちゃんのファンでも強いアンチでもなく、うっすらと苦手意識がある程度だった。
この件までは、フワちゃんは誰かに対して「少し」嫌なことを言ったり嫌なことをしたりルールを破る人だ思っていた。「少し」だから、誰も大きく注意しない。けれど「少し」、もっと傷ついている人もいるかもしれない.

フワちゃんは「プロレス内」、つまりお約束を守っていると思っていたのだが、そうではなさそうだった。メディア出演の際にメディアのルールをしっかりと学ぼうとせず、自分の感覚であのような振る舞いをしているのだと今回の件で私は結論付けた。

Xでいろんなツイートを見た。フワちゃんのラジオリスナーが悲しむツイート、私もラジオ好きなのでよく分かる。フワちゃんのラジオを聞いたことがあるが、救われる人がいるのも理解できる。
中でも「いじめっ子」と「いじめられっ子」構造への指摘が目に留まった。
私が学生の時はいじめられっ子がこうやって声を上げることは少なかったからいい時代になったと思う。私は「いじめられっ子」だった。同じ「いじめられっ子」のフワちゃんへの投稿を見て、初めて仲間を見つけた感覚だった。やす子も昔、いじめられっ子だったらしく、ああ私はやす子だと思った。

学生時代、フワちゃんのような人がいた。謝ったらいいだろう、このぐらいなら傷つかないだろう、傷ついても自分には関係ない、と思っていそうな人にいろんなことを言われた。私はフワちゃんとそのいじめっ子を同じグループの中に入れていた。

その当時を思い出すことは少ないけど、思い出したら今でも腹が立つし、その人たちのことを好きにはなれない。中学時代のいい思い出はない。色で例えるとグレーだった。黒くなるほど傷つけられなかったけど、「少し」傷つくことが積み重なった。同級生も先生も怒鳴り合ってて授業中にいろんなものが蹴られたりした。ただただ怖かった、怯えていた。

そんな私も大学在学中に教育実習生として、母校の中学校の教壇に立った。
無理だった。
怖かった。
理科の先生が一番よく怒っていたので理科室に入るのすら怖かった。当時がフラッシュバックした。私は中学校教員にはなれないと思った。
あの時の同級生のせいで私の職業選択から中学校教員という選択肢が消えた。

いじめっ子は遊びのつもりでも、私はしっかりと傷ついている。そしてその傷は今も残っている。
教育実習時、私の知っている先生もいたが先生は私のことを忘れていた。私がいじめっ子の名前を出すと、先生が「あぁ、あの代か」と思い出していた。そのいじめっ子は校則を破り、先生に反抗していた。私は校則を守り、先生の言うことを聞いて、成績も悪くなかった。なのに、先生はいじめっ子を覚えていた。理不尽だった。

ああ、私はフワちゃんに当時のいじめっ子を投影しているのだ。フワちゃんのズレた文章やサブスクの投稿を見て、自分のした事の大きさに気付いていない、格の部分が分かってないと思った。とりあえずほとぼりが冷めるまで大人しくしていよう、と思っているように見えた。今回の件は一線を越えているが、それはこれまでの振る舞いの蓄積がもたらしたものだとも思う。過去の言動に関しては何も言及していないの過去を振り返る気もないのか、と思ってしまった。

フワちゃんのようにとりあえず謝っておけばいい、時間が解決してくれる、遊びのつもりだったと思う人には心の底から猛省してほしいし、言い訳せずに自分と過去としっかり向き合ってほしい。

私はフワちゃんが猛省し精進することが、私にとってのフワちゃん的存在に仕返しになる
。私は嫌なやつだ。

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