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世界中どこでも住めば都?慣れるっていいこと?

アメリカに初めて行ったのは高校一年生の時。初めて食べたアメリカのケーキの大きさ、味、色、全てに驚いたのを今も鮮明に覚えています。アメリカ食文化との差にショックを受け、とにかく日本食が食べたかったのを覚えています。

それから6年後、私はアメリカに舞い戻り、大学院を出て就職。10年も住むと、あんなに苦痛だったアメリカの食事が日常生活の一部となり、その味覚も量にも(!)慣れてしまいました。

その後ニュージーランドで11年暮らします。そこでも同じく、初めはニュージーランドならではのFish and Chipsやのんびりアイランドタイムなど、その食生活や文化に初めは驚くことばかりだったのが、11年も経つとそれらもいずれは「当たり前」になりました。

そして7年前に離婚を機に日本に戻りました。日本人の顔した外国人とは私のことで、22年も日本から離れていると、見事な浦島太郎。当初は日本の文化や習慣、特に仕事のシーンにおける「言わずと知れた慣習」というものにはいつも戸惑いました。でもそれも7年間、頭を打ち続けながら繰り返していると、覚えの悪い私でも学習するわけです。(いや、今も頭をガツンとやられます。)

何が言いたいかというと、一ヶ所にいるとその土地の文化や物の見方まで自分の一部となっていくんだということを最近強く感じています。それが文化を生み出し継承され、その土地の特徴として残っていくんですよね。それを守る人々がいるから、文化や歴史が発展、継承されていくんですよね。だからこそ面白い。

さまざまな文化に身を置いて生きてくることができたのは私の財産だと思っています(両親や家族に感謝!)。それぞれの場所を自分の生活の基盤として受け入れる機会があったからこそ、多文化共生や異文化への理解を深めることができ、その結果として今の私がいると言っても良いかもしれません。。そこからの学びとして、私は人生の中で出会う異なる文化や体験を一つ一つ大切にして生きていきたいと思っています。若く青い頃は「ふん、日本の文化なんて私興味ないしー」とか「やっぱりアメリカでもカリフォルニアが一番だよね」とかなり偏ったマインドを持っていた頃もありましたが、今の私には年のせいか我が文化さえも新鮮でおもしろい。外国のものに触れる時も同じくワクワクが止まらない。

日本の各地域の文化も、アジアのごちゃごちゃとした文化も、アフリカの多様な文化も、初めて触れた時に「うわーこんなものの見方があるんだ」とか「こんなふうにこの文化が育まれてきたんだ」という新鮮な驚きと感動 (appreciationという言葉の方が合うかな)をいつまでも感じられる人でありたいと思っています。

年齢とともに研ぎ澄まされた感覚というものからほど遠くなりますが、できる限りいろんな新しいものに触れ、新しい人たちに出会い、いつもオープンな心で感動を待ち構えられるよう努めていきたいです。またそんな感動を通訳ガイドとしてお客様に提供できる人でいたいです。できれば一緒に感動する時間を共有したいな。日本人と見るときには日本人の視点から見た感動を。アメリカの方とは彼らとよく似た感覚で、そして中国の方の感動の仕方を一緒に体感する。そんな感じで、毎回新たな発見をし、ともに楽しめるガイドでありたいです。

ニュージーランドと英国そして日本という3つの文化を背負った息子たちの成長を見ながら、そんなふうなことを考えております。