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20代最後の夜に書き残しておきたいこと。


あと、数時間で、僕の20代が終わる。

ただただ幸せだった幼少期。
一時期自殺を考えるほど辛い日々を過ごしながらも周囲の人々の温かさを知り自立していった10代。
世界60ヵ国、200を超える都市を旅して様々な景色・人々・文化・考え方・生き様をその目に焼き付け世界の広さを知った20代。

次の10年がどのような形になるかはまだはっきりとはわからないけど、
一つの人生の節目の夜となる今夜、
この10年間を振り返りつつ、改めて強く想うことを書き残しておこうと思う。


これから20代になるあなたへ。
今、20代を生きるあなたへ。
何か1つでもこの素晴らしくも残酷な世の中を生き抜く糧になったたら良いなと。


・後悔はいつもやったことではなく、やらなかったこと。

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10年間生きていれば、嫌でもいくつかの大きな選択を迫られる時が来る。
僕がこの10年で大きな選択をする必要があった回数は3回だ。

1つは、専門学校を卒業する時、就職か留学かという選択。
2つ目は、半年間の語学留学をして日本に戻って来て就職して半年が経った時に社会人として初めて勤めた会社を辞めると決意をした時、日本でそのまま働くか豪華客船で働くかという選択。
3つ目は、豪華客船を辞めて陸での生活をすると決めた時、日本で働くか海外で移住を前提に働くかという選択。


すべてが自分の思い通りになったわけではないけれど、この10年を思い起こせば、後悔のない選択をすることが出来たと思う。
大きな選択については。


この3つ以外にも自分の人生を変え得る選択になり得たものがある。
それは、恋愛に関するものだった。
この10年で僕が深く愛した女性が3人居た。
もし、誰かと一緒になっていれば、僕の人生は今とは大きく違っていただろう。

タイミングが合わなかったと言えばそれまでけど、確かに僕は彼女たちを心から愛していたし、今でも人として好きだという気持ちに変わりはない。
もう僕らの人生が交わることはないけれど、それでもこの気持ちはずっと変わらないと思う。

そして、少し心に残っている後悔がそれでもある。
僕は選ばなかった。共に時間を過ごすということを。


他にもやらなかったことで後悔していることがある。


20代半ばからは、やろうと思ったことはなるべくやるようにして来たからこの5年の後悔はあまりないけど、今でも心に引っかかることは、やはり、やらなかったことだ。

やってしまって後悔したことは不思議とない。
考えて考えて、やると選択して失敗したことは不思議と後悔がない。


だから僕が言えるのは、やるかどうか迷ったらやる選択をしようということ。
後悔先に立たず、そして、やってしまったことは不思議と後悔しない。
後悔するのはいつもやらなかったこと。
これを忘れないで欲しい。


20代という時代は過ぎてしまえば、決して戻らない。
失敗しても良い年代には限りがある。
失敗すら良い経験になる20代、多くの後悔を残すより、多くの失敗を残そう。
それがきっと今後の糧になるから。


・若さと熱い想いと行動力があれば、手を伸ばしてくれる人がいる。

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経験が足りないうちは、憧れが人を突き動かす。
そして、経験が足りないからこそ無鉄砲な行動が出来る。

僕は20歳になってすぐ、初めての海外研修でアメリカへ行った。
専門学校の海外研修だった。見るものすべてが新鮮で、僕は強烈にアメリカのスポーツ業界に憧れた。
そして、専門学校を卒業する時に親に無理なお願いをして費用を捻出してもらい、それまでに自分で貯めたお金もすべて使ってカリフォルニアへ語学留学に行った。

ロサンゼルスに住む母校の先輩に相談し、鍼灸師として学びたいと直訴し、留学中はなんども彼のクリニックへ見学に行った。見学から始まり、研修をさせてもらえるようになり、解剖実習のアシスタントをさせてもらえることにもなった。

そこで多くの人と出会い、様々なことを学んだ。
思い返せば今の自分の基礎となることは、カリフォルニア留学中の半年間で積み上げたものだ。


カリフォルニア留学時には、語学学校が入っていたコミュニティカレッジのホームページでアスレティックトレーニングルームのアスレティックトレーナーのメールアドレスを調べ、自分がどれだけスポーツ現場で働きたいと思っているのかを拙い英語で書いたメールを送り、幸にも返信があり、コミュニティカレッジのアスレティックトレーニングルームで快くインターンをさせてもらうことが出来た。

半年という短い期間でも英語力を飛躍させることが出来たのは、アメリカ人しかいない現場で1ヶ月半、週5でインターンが出来たことがとても大きかったと今振り返って改めて思う。

また、そこで出会ったアスレティックトレーナーのジャネットとデイブには、アスレティックトレーナーとしての在り方と1人の人としての在り方を多く学んだ。
あの2人と出会えたことが、驕らずに努力を続け、常に謙虚に人と対等に話せるように生きようと心掛けるきっかけだったと思う。

豪華客船に乗って船のスパで鍼灸師として働き、世界中の港町を周り、船を降りている間は旅人として多くの街を旅して来た。
行きたいと思う場所にはほとんど行けたし、素晴らしい景色を数々見て来た。
心に焼き付いている風景ももちろんあるけど、心に強く残っているのは、その先々での人との出会いだ。



ニューヨークからロサンゼルスまで、いろいろな場所に寄りながら28日間で1万キロという距離を1人で車で走った旅の中で出会ったのは、その数年前からブログを読んで多くのことを学ばせてもらっていたブログ主の方だった。

当時、その方はテキサスA&M大学で教鞭を取っていた。
その彼女へもメールで是非会いたい、テキサスA&M大学まで会いに行きますとメッセージを送り会ってもらった。

ATC(Certified Athletic Trainer)という仕事をまだ目指していた当時の僕にとって彼女は間違いなく憧れの存在だった。

そんな彼女と会い、直接いろいろと話が聞けたことは、幸せ以外なにものでもなかったし、彼女との繋がりから広がった出会いもある。


僕の20代の中で1番のサプライズでもあった出会いは、高校1年生の僕がスポーツトレーナーを目指すきっかけとなった、女性で初めてNFLのトレーナーになった日本人女性、磯あり子さんと直接会えたことだろう。

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心から尊敬する人と実際に会い、自分の人生の方向性を決めるきっかけになった人、当時はテレビ越しで、まさか将来実際に会って、しかも自分が英語でその人と話すとは夢にも思っていなかった。


そんな彼女と会えたのも、若さと熱い想いと行動力があったからだと振り返ってみて思う。

僕が磯さんに会えたのは、2014年のこと。

当時、NFLチーム、ピッツバーグスティーラーズのトレーナーを引退し、オレゴン州立大学のアスレティックヘッドトレーナーになっていた磯さんのメールアドレスをホームページで見つけ、自分の想いの丈をめっちゃ長文で書いたメールをダメ元で送った。

すると1ヶ月半後、まさかまさかの返信があり、しかもオレゴン州立大学のアスレティックトレーニングルームへ見学に来ても良いとの言葉もあった。


その後何通か日本語でメールのやりとりをし、2014年の7月半ばにカナダはバンクーバーで豪華客船を降りた僕は、陸路でオレゴン州立大学へと向かった。
2日間、実際に会って施設を見学し、選手の練習やケアを見せてもらい、自分の将来についての相談にも乗ってもらった。夢のような時間だった。


今の僕は、ATCという道は目指していないが、それでもあの時間は今でも心に強く残っているし、教えてもらったことは、自分の人生に役立っている。

20代では本当に多くの人に出会うことが出来た。
10代では想像も出来なかった出会いがたくさんあった。
それは、熱い想いを持ち、積極的にコンタクトを自分から取り、どれだけ遠くても相手のところまで会いに行った行動力があったからだと思う。


夢がある人、熱い想いを持っている人は特に、その想いを相手にどうにかして伝え、相手のところまで会いに行く行動力を示して欲しい。そうすれば、雲の上のような存在の人にも会いに行けるかもしれない。

多くの人に会って思うのは、どんな人でも僕らと同じ人間だということ。
やっぱり想いを持って頑張ってて、遠い距離でも実際に会いに来る人には会ってみようと心を動かされる。

そして、それは若ければ若い方が良いと僕は思う。
なぜなら、自分がどんな人生を歩むかは、どんな人と出会い影響を受けるかで大きく変わるから。もっと自分が若ければと後悔を口にする大人は多い。


若い人には、是非若いうちに熱い想いと行動力を持って、自分の憧れる人に会いに行って欲しい。想いが伝われば、きっと会えるから。



・行きたいと思った場所へは思った時になるべく行こう

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Covid-19が世界的に流行し、人々の行き来がとても難しくなったことを抜きにしても、やはり行けるうちに行きたいと思った場所へは行っておいた方が良い。

豪華客船で働いて、世界中を旅していろいろな人と出会って話して分かったことは、多くの人は、歳を重ねれば重ねるほど様々な責任を背負い、行動の自由が狭まって行く。
子供が出来れば、思うように旅行に行けなくなるし、責任のある職務につけば、自由気ままに何週間も旅をすることは難しくなる。
定年を迎え、子育てを終わる頃には、身体は老い始め、20代の頃のように動くことは出来ない。

若いうちに旅をすることは、きっと何にもかけがえのない経験になる。
実際に20代で60ヵ国、200以上の都市を旅することが出来て、様々な街や大自然の数々を肌で感じることが出来たことは、この先の人生でもそうそうない経験だったと思う。

旅の中では、20代という若さがあったから出来たことも多くあった。
だから僕は、声を大にして言いたい。
行けるうちに行きたいところへは行っておけと。


Covid-19の流行が落ち着いてまた以前のように人々が自由に行き来することが出来るようになったとしても同じように別のウイルスの感染流行が起きる可能性はずっとあるし、世界が戦火の中に陥ってしまう可能性も否定することは出来ない。

世の中には自分ではコントロール出来ないことがたくさんある。
だから、コントロールできる自分の時間とお金を使って、なるべく若いうちに行きたいところへは行っておいた方が良い。


それはきっといつか自分の心の支えになるから。
人は、想い出があれば、生きて行ける。
年老いた時に思い出すのは、若い頃の想い出。

たくさんの想い出を20代で作っておこう。
きっとそれがその後の人生を豊かにするから。


・20代のうちはバカなことを出来るだけしておけ、歳をとった時にきっと笑い話になるから。

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豪華客船で働いていた時に合言葉のように船の仲間と言っていた言葉がある。
「Do crazy thing when you are young. If you don’t, you have nothing to rough when you get old.」
簡単に意訳すると、「若いうちにバカをやっておけ。そうしないと歳を取った時に笑い飛ばせる話が何もないぞ。」という感じ。


歳を取れば取るほど、失敗をすることが大変になるし、笑えなくなる。
そして、若いうちにバカなことをやっていないと、歳を取って人生を振り返った時、自分の人生をつまらないものだと思ってしまうかもしれない。


先が短くなればなるほど、大切なのは、過去の自分の話だったりする。
子供ができた時、孫ができた時、新しい友達ができた時、笑い飛ばせる話を持っていた方がきっと役に立つ。


振り返ればバカだったなと思うことを20代でたくさんして来た。
今では同じことをするのはもう無理だと思うことがこたくさんある。
でも、やって来たことに後悔はない。
どれもこれも良い想い出。

若いから出来ることがある。
20代というなんでも出来る時に、多くのことが若さゆえの過ちと許され得る時に、
たくさんのバカな経験をして欲しい。

後に振り返った時に、晩年になって話をする時に、きっと笑い話になるから。


・人は自分1人の力で生きているわけじゃない、周りの多くの人に支えられ、お互いに支え合い生きている。

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若いうちは、体力もあって、特に子供から大人になったと感じ始める20代は、自分1人で出来ることが増え、自分1人でなんでも出来ると勘違いしやすい。

でも、実際は、多くの人にお世話になり、助け合って僕らは生きている。


僕はおそらく、人より多く、周りの人に助けられて来たから今の自分がある。
自分1人ではどうしようもなかった時に周りの人から手を差し伸べてもらったから前へと進むことが出来た。

一人前になり、自分以外へも気を配れるようになり、周りを助けられるようになり、今やっと20代の僕に手を差し伸べてくれた人たちの気持ちが分かるようになった。
きっと、彼ら彼女らも多くの人に助けてもらって来たのだと思う。

その感謝の気持ちを、より若い世代に還元していく。
そうすることで人と人との輪はどこまでも回り続ける。

世の中が少しづつでも良くなって来たのは、先人たちの気持ちの輪が少しずつ広がって来たからだと思う。

手を差し伸べたすべての人が同じように感じ、想いを受け取って次へと繋げてくれるわけじゃないけど、少なくとも自分だけでも上の世代から受け取ったものを下の世代に繋げて行くようにして欲しい。
そういう人が少しづつでも増え続けていけば、世界はきっと今より良い世の中になって行ける。


・今日会える人にいつまでも会えると思うな。

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10年という時が過ぎれば、この世から去る人もいる。
それは、祖父母かもしれないし、両親かもしれないし、兄弟姉妹かもしれないし、仲の良い友達かもしれない。

いつでも会えると思っていた人が明日突然居なくなってしまうかもしれない。


幸いにも僕は、20代で身内で亡くなった人は祖母1人だけで、両親も妹も弟も親戚の多くも健在だ。
親しい人の死は、少ない方だったと思う。


しかし、周りを見渡せば、多くの人が愛する人々を亡くしている。
昨日まで毎日会っていた親や子を亡くした人もいるし、家族や友人を一気に失った人もいる。
明日のことは誰にもわからない。


僕らに出来ることは、いつ自分の最後の時が来ても心残りのないように愛する人へ感謝の気持ちを忘れず、別れの際にはそれが人生最後の別れの機会となっても後悔がなるべく残らない別れの仕方を心がけること。

特に母国を離れ、海外に出る人は、多くの冠婚葬祭の機会を失う可能性が高いことを忘れずにいて欲しい。


僕は、20代の半分以上を海外で過ごした為、親しい友人の結婚式にはほとんど出れず、祖母の死に目にも会えなかった。出来たことは、遠い国外の地から、船の上から祝いのメッセージを送り、祈りを捧げることだけだった。

たとえそうなっても仕方ないと覚悟を決めて海外に出たから後悔はないのだけれど、やはり、思うところはある。

明日死んでも後悔を残さぬよう日々を生き、愛する人には伝えたい時に感謝と愛を伝え、別れる際にはそれが人生最後の別れだったとしても悔いの残らぬよう想いを胸に抱いて言葉で別れを伝えよう。

「またね」でも良い。
「さようなら」でも良い。
「元気でね」でも良い。


かける言葉はなんだって良いんだ、その言葉の裏にどんな想いを込めるかが大切なんだ。

豪華客船に乗ると決め、実際に日本を飛び出した22歳の時から僕はいつもそうやって別れ際には言葉の裏に想いを込めて来た。
だから、これまでずっと後悔の残る永遠の別れを経験せずに済んでいるんだと思う。

明日も会えることは当たり前じゃない。
いつ誰が亡くなるかは誰にもわからない。
少なくとも後悔の残る別れ方だけはしないで欲しい。
一言言葉を交わすだけでも良い。
最後に一言言葉を交わせたことが救いとなることだってあるんだ。


親しい人に、愛する人に会えること、時間を共に過ごせることを大切にして欲しい。
そして何より、別れの瞬間を大切にして欲しい。

それがきっと、あなたの心を救うから。
それがきっと、あなたの愛する人の心を救うから。

終わりに。

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僕の20代最後の夜ももうすぐ終わる。
30歳になったからと言って明日から人生が大きく変わるわけじゃなく、
これからも今までの延長線上で日々は続く。

それでも節目節目でそれまでの人生を振り返る時間を設けることは良い気づきを与えてくれる。


自分のやりたいことを優先し、多くの人に迷惑をかけながら、たくさんの失敗を積み重ね、それ以上に多くの経験とかけがえのない時間を過ごし、もう二度と戻らない20代を生き抜くことが僕は出来た。

今日死んだとしても間違いなく、自分の人生は良い人生だったと言える。
そんな20代を過ごして来れたことに感謝しつつ、20代の僕に関わってきてくれた人々に心の底から感謝の気持ちを伝えたい。

ありがとう。
心からありがとう。

これから20代を生きる人、今、20代を生きる人が僕と同じように30歳を迎えるときに晴れやかな気持ちでその時を迎えてくれたらと思う。


この10年の経験をすべて書くことは出来ないけれど、大切だと思えることは今夜ここに書き記せたと思う。これを読んであなたが何かを感じて、自身の20代を生きる間に活かしてくれればと思う。


1人でも多くの若者が後悔のない人生を歩んでくれたらと思う。
失敗したって良い、バカなことをしたって良い、きっとそれを笑い飛ばせる日が来るから。
何よりも、やらなかった後悔を残さず、充実した日々を送り、楽しい20代を過ごして欲しい。


そして、願わくば、20代で経験を積み重ねた中から、その後の人生の柱となるものを見つけ、30歳以降の人生を歩んで行って欲しい。


何気なく日々を過ごしていれば、時間はあっという間に過ぎて行ってしまう。
20歳になってからの10年は、20歳になるまでの10年よりあっという間だ。


この記事を読んでくれたあなたが、より良い人生を過ごして行けることを祈って。


2021年1月10日
MITS・F・MATSUNAGA


個人ブログ:http://mitsmatsunaga.com/blog/
僕のこれまでの旅の記録とその時々で想ったことを綴ったことに興味を持ってくれた方は、ぜひ、リンクから他のブログ記事も読んでみてください。

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