21. 悔しいけど、この3年間は確実に走馬灯に出てくる。

1ヶ月書くチャレンジ、Day21は
これまでで1番のチャレンジ
です。

社会人1年目の配属ガチャが大ハズレだった結果なので、チャレンジしたというより、チャレンジさせられたという感じです。

要は上司のいない部署でいきなり専門外の業務をさせられたという話なのですが、
・初海外渡航が仕事
・しかもアテンドする側

というのが、当時の私にとってかなりチャレンジングでした。

文学専攻だったので別に学生時代に熱心に語学を頑張ったわけでもなく、英語も他の教科より多少点数が取れて、文系の大学に入れる程度。特別に英会話を習ったこともありません。

それなのに新卒で一組織の国際化担当に配属されて、社会ってこんなに見切り発車で動くものなんだ…と呆れたのを覚えています。

まず困ったのが前任も直属の上司もいないこと。ノウハウがなく、ルーティンの業務もなくゼロから組み立てることが本当に大変だった。

既卒で入社していたら早々に辞めてたな…と思う環境です。なぜ続けられたかというと、
同年代の先輩(当時の若手)がみんな親切だった
これに尽きます。
基本縦割りの組織にもかかわらず、経理や経営企画に携わる先輩がたが何をどういう手順で進めたらいいかこっそり教えにきてくれました。

いわく、近年稀に見る無茶振り人事だそうで、私のことを心配してくれていたようです。(巡り巡ったら自分たちの仕事にも影響あるしね。)

そしてわたしも負けず嫌いなので
入社して数ヶ月、ある管理職に「1ヶ月くらいで心折れて来なくなると思ってたよ〜」と言われてめちゃめちゃ腹が立ち、何をやらかしても任期を全うするまでは居座ってやろうと思いました。

結果的にこれから一生かかっても自分1人ではできないような経験ができました。

ベトナムの道路で原付に轢かれそうになったり、南仏で50年に一度の豪雪に巻き込まれてやっとの思いで帰国したり、アラサーのクリスマスを1人韓国で過ごしたり、日本の片田舎でムスリム10数人の観光案内をしたり…。
どれも見切り発車の自転車操業で当時は辛かったですが、思い返せば刺激的な日々でした。

仕事が軌道に乗ってきてからは語学が堪能で仕事も早いパートさんが仲間入りして、格段にできることが増えていきました。今思えば、あの方が初めての上司だったかもしれない。立場上指示しないといけないのは私なのに、ずっと背中を追っていたような。

3年ほどで全く違う部署に異動になりましたが、今考えてもかなり異質な仕事をしていたと思います。海外に目を向けることがあまりない人生でしたが、一気に行動範囲が広がりました。人種や宗教の違う人と関われたことも、大きなプラスです。

そしてやっぱり、気楽な独身だったからこそ成立した部分も大いにある。今はルーティンがあって、ある程度スケジュールの立てられる仕事だからこそ家庭と両立できているんだなぁとありがたみを噛み締めています。

結局、新卒から3年間のあの環境に耐えられたのは大きな自信になりました。この先どんな場所に飛ばされてもなんとかなる気がする。

人生のうちでドタバタしていた局面のことを書いたので文章も混沌としていますが、このまま出しちゃいたいと思います。

悔しいけど、この3年間は確実に走馬灯に出てくる。

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