僕の上京物語
「街クジラ………」
うちの食糧庫である水槽を点検してから帰宅するのは、僕の休日のルーティーンだ。午前中、部活でさんざんしごかれた後、大きなガラス鉢に異常がないか気をつけながら周回するのはそれなりに神経を使う。
母ちゃんに「水球やらせてやってんだから、そのくらい手伝ったらどうだい!」と言われてから、仕方なくやっている感じだ。
そうして今日もへとへとで帰宅したところ、点けっぱなしのテレビからワイドショーの映像が目に入った。
街クジラ。地方から出て都会で働く若者たちが増えてきて、そう呼ばれているらしい。綺麗なスーツを身につけて、その身体つきはどこかシャープな気がする。僕は思わず自分を見下ろした。日頃の運動のおかげで筋肉量には自信があるが、7mを超える巨体はスタイリッシュとは程遠い。
画面の中でインタビューされている彼らは、「地方にはない刺激がありますね」
「周りの向上心の高さに影響を受けています。」
と口々に言う。その顔はもれなく晴れ晴れとしていて、目に光が宿っている。
これだ。
僕は直感でそう思った。
高校2年生、最初の進路希望調査はピンと来ないまま、なんとなく名前を知っている近所の大学を書いた。部活は楽しいから続けているが、他にこれといった趣味も特技もない。成績も中の下。将来自分がどこで何をして生きているかなんて全く想像がつかなかった僕に「ここに行けば何か掴めるんじゃないか」と思わせるには十分だった。
「母ちゃん、僕都会で就職する!」
昼食の仕上げに取りかかろうとしている背中に声を掛ける。母ちゃんは驚いた顔で振り返った。
「あんた…本気なの?」
ぼんやりとした息子がここまではっきりと自分の意志を表明するとは、と顔に書いてある。失礼だな。
「都会は大変よ!食べ物も限られているし、土地は狭いし…」
母ちゃんは若い頃、都会で働いていたことがある。この地方に旅行してきたとき入った小料理屋で、当時従業員として働いていた父ちゃんのひとめぼれで猛アタック?の末、結婚してここに移り住んだらしい。
父ちゃんが酔っ払ったとき「母ちゃん、昔は細くて綺麗だったんだぞ〜」と僕と妹に自慢気に話し、恥ずかしがる母ちゃんに叩かれている光景を思い出した。
「自分が将来できることを探したいんだ。」
ぼんやりしている割に、自分で決めたことは頑なに貫き通す息子の性格を知っている母は、そんなら頑張ってきなさい、とあっさり承諾した。
その夜、父ちゃんにも伝えると「ふーん、頑張んな」と興味なさそうな返事が返ってきたが、なんとなく嬉しそうだった。後で母ちゃんから聞いた話では都会への憧れがあったらしく、息子の決断が誇らしかったらしい。
担任の教師は、就職活動もせず、卒業してからアルバイトを渡り歩いてやりたいことを探す方針に最初は反対していたが、高3になっても意見が変わらない僕に、諦めたのか次第に何も言わなくなった。
あっという間に高校も卒業を迎えた。
生まれ育った家を出る前の夜は、さすがに淋しくなって自分の部屋で少し泣いた。次の日にリビングに集まった両親も、目元が少し赤かった気がする。妹だけは流行りのアイドルグループに会ったらサインもらってきてね!とちゃっかりしたものである。
「じゃあ、元気で。」
駅まで着いてきてくれた家族との別れはあっさりしたものだったが、一人一人と握手をして元気をもらった。家も決めていないので、着いたらしばらくはホテルに泊まりながら家と仕事を探すつもりだ。
母ちゃんが持たせてくれた昼食を食べながら、信じられない速さで流れる車窓を眺める。
そのうち流れる建物がどんどん高くなり、目的地に近づく頃には空がほとんど見えないほどひしめき合っていた。僕って田舎しか知らなかったんだ。と、改めてこれからの生活に胸を躍らせる。
目的地の駅に降りると、とんでもなく混雑していた。いつもこうなのかと面食らうが、なにかただならぬ様子である。大小さまざまなクジラが行き交っているが、自分と同じくらいか、もしくは少し大柄のクジラたちが戸惑った様子で立ち尽くしているのが多く目に付いた。何かトラブルが起こったのだろうか。
しばらく様子を伺っていると、先程から繰り返されている駅のアナウンスがはっきり聞こえてきた。
「えー、体長5mを超えるクジラのお客様は短期滞在ビザの発給が必要になります。発給窓口までお越しください。」
短期滞在ビザ?そんな話初耳だ。そもそも僕はここに長期滞在するつもりで来たんだが。
戸惑いは消えないが、とにかく駅を出なければどうしようもない。誘導に従って発給窓口へ向かう。そこで信じられない話を聞かされた。
この4月から、都市部に新たに定住できるクジラは体長5m以内のものに限る、いわゆるイルカしか定住できないという法律ができたらしい。
都市部の人口ならぬ、クジラ口の増加に対して土地があまりに狭く、このままいくとクジラ口密度が爆発的に増えて10年もしないうちに経済活動に支障が出るとの統計がきっかけだそうだ。
これまで定住していた体長5mを超えるクジラは、数年前から都市部の中でも郊外エリアへの移住を要請されているほどの徹底ぶりとのこと。
「でも僕は…!親も、先生もそんなことは言っていなかったし、知らなかったはずです!!」
窓口の職員にそう食い下がると、少し気の毒そうに、しかしその質問にも対応し慣れているような表情で
「都市部への移住を体長で制限すると、クジラ種差別だという批判が出るおそれがありましたので、大きく報じることを避けながら進められてきたんです。国のホームページ等をご確認いただけていましたら、進捗は報告しながら進められていたのですが…。この政策には地方への移住を促進して、地方創生を推し進めるねらいもありますので、どうかご理解ください。」
と事務的に告げた。難しい言葉がよく分からないが、どうやら僕はここには住めないということらしい。
呆然としながらも、もう一つの疑問が浮かぶ。
「でも、街クジラって言葉が流行っていたのは何だったんですか?」
「あれは、都市部に残るイルカ達が自分たちを大きく見せたくて使っている俗語ですよ。結局イルカ達も、大きなものへの憧れがあるのでしょうね。」
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