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「死ぬこと」ってそんなに悪いこと? (高齢者)

看護師と言う同じ資格を持ち仕事をしていても、「死」に対する感覚が全く違う方の話を聞いて、考えさせられました・・・


面接に来られた看護師さんの話

「私は、目の前の患者さんが、死にそうになったら、何が何でも助けます。
それが、私たちの使命であるし、そう教わってきました。
ご本人や家族が、延命を望まなくても救命はします。
そして救急搬送します。」
「自分の目の前では死なせません・・・・・」
と面接に来られた看護師さんは言いました。

おっと・・・
「特養では、それをしてもらったら困ります。」
と当法人の「結いけあ」の研修を受けていただきました。

研修後、
「こんなにも穏やかな死があるのですね・・・救命に必死になっていたのは、結局患者さんのためではなくて、自分のためでした・・・
目からうろこでした・・・」と感想をいただきました。

施設で、生活の場での看護をしている私たちは、高齢者の穏やかな自然な「死」を肯定的に捉えていますから、むしろ、より穏やかに旅立てるように、家族に悔いが残らないように、相談しながらケアを展開しています。

感覚が真逆である事に、驚きましたが、お話をすることで、平穏死を理解していただき良かったと思いました。

電車で出会った看護師さんの話

電車に乗っていた時、前の座席に二人の30代と思われる看護師さんが二人座りました。
会話の内容から、看護師と言うのはすぐにわかりました。
患者さんの話を一生懸命していました。
若い方の看護師さんが言いました。
「私の夜勤の時、何故か亡くなる人が多いんです。夕べも一人お亡くなりになって・・・」

私は心の中で「きっとこの方優しくて、良い看護師さんなんだろうな・・・だから旅立つ人に選ばれたんだろうな・・・」と思って聞いていました。

笑顔の素敵な看護師さん

ところが、先輩はこう言いました。
「あんた、たたられてれてるわ・・・おはらいに行った方が良いよ・・・」と・・・

凄く、凄く、残念な気持ちになりました。

同じ看護師という資格を持ち、働いている私たちの感覚は、働く場所によって、働く仲間によって、こうも違うのですね・・・

その方たちとは話が出来ずじまいでしたので残念です・・・

「死生観」に正解は無いけれど、命の現場で働く、医療従事者でさえ「死」に対する感覚はまちまち。
ある外科の医師は「死は医者にとって敗北である」と言いました。
そう思っていると、辛い仕事ですね・・・

「死」の教育を受けていない日本人

昭和51年以降、病院で亡くなる人が増え、日本人の生活から「死」が遠のきました。核家族も増え、具合の悪い高齢者は入院して入院先で亡くなるという人が急増しました。

いつしか「死」を忌み嫌い、縁起でもない、辛い、悲しい、できれば考えたくない事となってしまいました。

「死ぬこと」は悪いことですか?
みんな必ずいつか 死ぬのです・・・
しかし、日本では「死の教育が無い」と言われています。

日本は超高齢多死社会、昨年(令和5年)は約159万人の方が亡くなっています。その9割が高齢者。毎日4300人もの人が亡くなっている計算です。

多死社会・・・今だからこそ、私たちは「死」を学び直し、「死」を自分の事として考えていかなければならないと感じます。

人生の次のステージに上がるイメージ

生活の場での「平穏死」

高齢者施設での「死」は自然な事
毎日の生活の延長線上にある 一つの出来事
いつ、その時が訪れるかわからないから、「今日一日を花丸の一日に」が合言葉です。

「死」は人生の終末ではなく「生涯」の完成である・・・(ニーチェ)

「生涯」を完成された高齢者はきっと、素敵な所に行って、先に逝った方と再会し、動かなくなった身体から解放され、楽になっているだろう・・・

そんな明るい死生観を持って、これからもご利用者の毎日を支えご家族にも安心していただきたいと思っています。


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