外路系の体育・外路系の訓練ー生きものと物の違い➖
犬だって、怪我したら食べないのです。
余分に食べるから傷口が膿んでくる。膿むことも自然の体の働きなのですけれども、普段に食べ過ぎている人の体は、その裡にある自然の要求によって、こういう機会に体内にあり余っている栄養を消耗しょうとするので、膿んだり、熱を出したり、そういう余分なことをするのです。
犬🐕の行為を見習って食べ物を減らすと、傷の治りも早くなる。
また病気になったという理由で、働くまいとする。できるだけ体に楽をさせて、できるだけたくさん栄養摂取しようとする。人間の知恵でつくった衛生法とか健康法とかは、そのように教えてきております。
しかし、少しの食べ物で必要量の栄養が吸収できる身体が健康なのに、なるべくたくさん栄養物を食べて、なるべく動かないんでたくさん寝ていろというのです。
それは東へ行こうとして、西へ行くようなものです。
物の保存法というものと、生きている人間の衛生法というものとを履き違えているのです。
安静ということでも、レントゲン検査やいろいろ検査で調べた結果、その出た結論として、できるだけ安静にしたほうがいいという。しかし安静にしていれば、体に働きは錆びてしまうのです。
体は安静にしていることに適応してしまって、体の恢復要求が起こらないのです。
生きている体は酸が足りないからといって、酸を足すと、ますます酸を分泌しなくなる。酸が過剰だからといって重曹を飲ませると、ますます酸が多くなってくる。血液が足りないからといって輸血すると、血をつくる体の働きは怠けてしまう。
ともかく外から余計なことをすると裡の働きが働くなってしまう。そこが物と違うところなのです。
だから自家用薬があることを忘れて、代用薬を使っていると、自家用薬をつくる働きも又、衰えてしまうのです。
生きものが物と違って便利なことは、自動車のボディは塗装が剥げると、五年たっても十年たってもはげたままでいるが、生きものの体は、怪我をしても自然に元のように治ってしまうのです。その点、人間の体は大変に静妙に出来ております。
こういう生きものの特徴を生かすように使うべきであるのに、ちょっと怪我をすると、すぐに薬品に頼り、そして新陳代謝の働きを妨げて、治るのを遅らせている。
治りが悪いからといって、さらに栄養物を食べて、わざわざ膿むように仕向けている。
また熱が出ると、下げる薬を飲んで、体の裡にある自然のリズムのことなど無視して、それを乱すようなことを平気でやっているのです。p104
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習わない事ばかりなんですけど😰
時代は常に流行を作り出し商売にしていきます。何かしないと不安になるように、安心な外からの薬?のようなものを手を変え品を変え差し出してくる、いっぱい😰。無意識にいいよいいよで脅迫されているよう圧してくるようで、、。
薬は今はほとんど中国に工場があり人体実験はそこで行われているよう、臓器も数日で用意されるとか聞きましたが、その国独自なことですが、また一つの薬のどんだけの実験にネズミが使用されているかと思うと怖い話ですが、それに自分の命を任せているというのもさらに怖いです😰命の犠牲に命があるという、、。
日頃からちょっとした風邪なども薬などで常に止めてしまっていると、何かいざ!となると自分の力が発揮できず、また人によっては思い込んだだまま不安を募らせ自ら死んでしまうことさえあります。
わたしには、いつもどこかお天道様が観ている!というような内容のものが心の中にあるなぁって😅。
みんながそうだ!とか言っても自分自身になって(一人)感じ考えない事に、いいことだからといってそのままを受け取るって事が少ないように思っている。それがみんなと違ってもいいし、また誰が見てようが見てなくても、自分のお天道様みたいのがあってそれが、それにはどうあっても嘘はつけない、、そう思っているようですσ^_^;。
ある人が言っていたが、
“人は一人になるとちゃんと考えるのに大勢になると馬鹿になる”って、、ああこれ附に落ちる言葉だった。
その経験は多いし😰
たくさんの顔を持つみたいですね。一心同体ではなくバラバラみたいです。ほんとはそこまで思ってないけどみんながそうだから合わせたけど、本心は違うとか、よくあったなぁ、、って。体もきっと同じにバラバラ。
健康に原理というだけあって、これは基本の中の基本で元々ある体の働きに話です。
誰も教えてくれなかった事が、これで納得して腑に落ちた一冊であります。
どんなに時代の意識が変わっても頭や脊椎の数も腰の数も足も手も変わらない以上、その働きは変わらないです。