引っ張り合う働き、運動
田舎の細やかな遺産において娘3人の何かと意見の違いが、今や2対1の一の方の私です😅
独身末っ子のわたし、上2人の姉たち。長女とは7歳違い、次女とは6歳違い、それぞれ孫のいるおばあちゃん。私は両親や姉二人とは違う方向を生きている、見るもの得るもの全く違う。多分私には味方はいない、多分理解も届かない関係性だと思う´д` 。
家土地の処分するのにもう5年経つが、実際遠いのもあるが、意見がこちらに見えないまま、それぞれの思い出やらの感情処理に時間がかかっているという年月に経費をかけて維持している。途中で相談もないまま長女の買い替えや別荘化使いに一悶着有(-。-;。
、、いとこの話では自分の両親がボケて年金やら預金やらいつに間にか妹が持ち帰って管理?して、なににどう使っているか?全く報告さえないと言っていたが、そこも旦那や嫁を巻き込んで家族で敵対関係らしい(^-^;
まあどこでも親がボケて実務が出来なくなったり、亡くなったりするとこんな内容が出てくるんだなって、びっくり‼️がここにもとは思わなかったよ😰
…でも今思ったけど、きっとそれって親に対する復習に似たものかなって。兄弟姉妹への不平等さへの不平不満の矛先を、親がもう機能を失ってから始めるみたいな、だからこれくらい貰って当たり前だ!的な振る舞い。
逆に親を自分と一体化させているんだろうなぁ。親に変わって私が財産をと。誰もそんな事頼んだ覚えないんだけど😰いつすり替わったんだ?って感じ。・・でもどんなに尽くした或いは尽くさないとしても遺産は法定通り、御約束通り、世間の云々に惑わされずに速やかに行う事はやはり教訓!
…年が離れて、後から生まれるって時代も先に進んでいる。
親と子もそうで、前の時代を次の代は既に終えて次へと向かっている。基本バックさせずに行けばいいでしょ。
…前を向けば必ず過去は付いて来るからものだから。今この瞬間の中にも過去や未来が繋がって必要に応じて出たり入ったりしてる。
遺産などで歳重ねた姉らの歴史や性質を知る。もういい年だよ😅中々頭も体もスムーズではないから起こることもまた同じだと思う。
またこれってある意味一番の親不孝だなと思うけど、生きていた時から親の心配はそれぞれ子供にあったから、、親の死後も心配通り!それ変わらないね:(;゙゚''ω゚'')。
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親には安心してこの地球🌏のことは忘れて欲しい。向こうには向こうの働きがあるはずだから。こんな事でいつまでも子供に言われては、言ってる子供側も、、、
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スムーズに行かせない一つには、体の問題もある。個人の体に長年の感情の処理が悪いと、その出来事が硬く固まって全体の動きや働きを滞らす。感情の塊は体について離れなくなる、骨させ曲げてしまう(゚o゚;;。がそれを思い続けるとその本人に必要だと体は認識する。だから死ぬ迄その憎しみや悲しを糧に生きていくかのように付いて回る。張り付いて体まで変形する。あっという間にそれにも麻痺するのだ。悪いと思っても変えられない癖にしてしまう、、中々凄いよ生きものだよ人間って。
観念恐るべし!
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元に戻す、調整する、ニュートラルに、浄化するのもここに入るだろう。親がそうから子供も同じではなく、いったん両親から切り離そう!的な発想があるからそんな切り離し作業を投稿した(脱同一化)
限定された物の中の狭い世界で目先数メートルしかこの目では見れない、頭も生活する為一部しか行き来していない😅牢獄なこれ😰
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物は有難い!物は欲しい!物は嬉しい!etc
だが時代の価値基準は数年で変わり、手かせ足かせに変わったりもする。この両親の物処理が終われば、もう姉たちとは二度と会わないかも?と思えたりする。入る墓が違う姉たちとのザワザワ続きは、まだ縁の保管維持中なのかも知れない。だからまだそう言う意味では親が生きているのだと思った。死んでもまだ両親の思いの流れには、子には教えがあるかのようだ🙇♀️。物を通じての、、精神かも知れないけど、、。
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昔は家と車を持つことがステータスだった。今は出来るだけ私物を減らし公共なものを使った方が経済が回るというふうに、コロナ影響もこれから変化は続く。
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が欲しいという欲は無くならない、もしかしてもっと別の意味で欲の方向先が猛烈に生まれる😆👏生きる欲求は無くならない。
引っ張られる事柄が手を変え品を変え人を通して周りに広がり、影響し合いながら我を形成し、日本を、世界を、地球全体へと広がり繋がり合うそんな運動がある。
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目に観えぬ大きなところから、このわたしの手の細胞の些細なところまで入り込む完璧な運動、働きが運行している。いいにもわるいにも関係なく通過していく。
気持ちよく経過するのか?
ギザギザにボロボロになって経過するのか?
経過出来ないまま死ぬのか?
それも大いなる運行の中に生きる個人の出来事だ。
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ここから
そこへ
そこから
あそこへ
と行き来する
わたしのところは中継点になっている。