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今あんまり言わなくなったことーその2

最近、大脳反射とか、ストレスとかいう学説が出てまいりましたので、いろいろな精神作用が、体にいろいろ影響を起こしてくるということは学問的に判ってまいりましたが、例えば、A氏はB女が嫌いでD女が好きだということは、大脳を解剖してみても、内分泌物を検査しても判らない。男は女を好悪するということぐらいしか判らないのです。学問が人間の実際生活に役立つことはもっと先のことでありましょう。

また同じ刺激で生じたストレスも、人により現れ方がみんな違う。
ある人は恋愛をすると食欲がすすむのに、ある人は胃袋より心臓に現れたりする。同じストレスでも、筋が硬張ったり、糖尿を出したり、尿がつかえたりする人も有れば、呼吸器にはたらきの異常となって現る人もある。そういう違いは何によって起こるのだろうか。人間とは個人であって、その個人個人には魚の好きな人もあれば、イモの好きな人もある。10億円の借金を背負っても平気な心臓もあれば、わずか千円か一万円の借金を苦にして顔が青くなるような心臓もある。みんな体の傾向が違うのです。

そういう違いに立脚しないと、個人個人健康問題は理解できない。つまり私がお話しようとする健康生活の原理というのは、そういう体の普遍的な面だけを追求していたのでは判らない人間の身体、その生きているということの何らかについて、私が50数年、大勢の人を指導して得てきた生命観と言いますか、健康生活の哲学と言いますか、そういったようなことをお話ししようと思うのであります。

私の子供が学校で保険体育の時間に赤痢に話を聞いて来て、「水を飲むのも、お菓子をつまむのも恐ろしくなってしまった」と言いますので、私が何気なく、「今まで水を飲んでも赤痢にならず、菓子を摘んでも無事でいたのは何故かな」と聞きますと、彼は真剣な顔をして考えていましたが、しばらくして、「大切な事を忘れていた。僕たちは生きているんだ。生きているから生きるのに必要な働きが起こるんだね。抵抗力とか、予防する力とか・・・その生きている力が弱ると赤痢になるんだね」と言うのです。生きていると言うことを忘れていたのは彼だけではなく、現在の大部分の人がそうなのです。予防を知識として知って活用することは大切ですが、知識が過度になり過ぎて病菌が恐ろしくなってしまうと、その生きる働きが萎縮してしまうのです。

人間が生きているということは、体があるからではない。食物があるからでもない。空気があるからでもない。他の何らかのもので生きているのであります。
けれども世の中には、体によって生きていたり、食物によって生かされていたり、空気があるから生きていると考えてしまっている人も少なくない。そういう人は、食物をよりどれば丈夫になると思う。新鮮な空気を吸っていれば丈夫になると思う。心を堅固にすれば丈夫になると思っている。しかし、それはみんな違うのです。生きているということは、そういう一つ一つの部分的なものを相手にして意気込んでいると、健康に生きるということとは違ったところへ行ってしまうのであります。

健康生活の原理
活元運動のすすめ、、より

ー晴哉はつづくー。

ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。