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健康生活の原理-活元運動のすすめ by野口晴哉

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野口晴哉の本を小見出し事に書いきました。動画もありの保管庫。
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#活元運動

2019年11月月刊全生より抜粋ー(スタート)

活元運動について(野口晴哉)

¥100

外路系の体育・反応について-反応期の注意(終わり)

反応期に注意すべきことは反応期にはとにかく冷やさぬこと、反応が終えたら体中をすっかり弛めて休養すること、反応が終わったといってすぐに動きださず、動きたくなってから動き出すことを忘れないでほしい。 これは急性病の場合と、ほとんど同じような体の状態なのです。 急性病の場合も、熱が出て下がったら休める。治ったからといってすぐに動くと体をこわしてしまいます。 急性病と反応とどこに相違があるかと考えてみると、同じものではなかろうかと考えられますが、いずれにしてもそういうことを自然の

外路系の体育・反応の経過注意すべきこと

反応中は肌着は汚れるし、爪は伸びやすくなるしたふけは多くなるし、傍へ行くと臭い。中には体内で石を作っている人などはその溜めている石を、胆石でも、腎臓結石でも、膀胱結石でも、どんどん出してしまう。 ただこのような反応期に石が出る場合のは、塊りにならないで、臭い尿になることが多いが、時々気忙しいい人がいて、胆石でも、膀胱の石まで、固まりのまま出すことがある。 膀胱から大豆大の石が出たという人も、胆石で三十六個も出たという人もいました。また、バケツに三杯くらい下痢をしたとか、鼻

外路系の体育・反応について⑶

⑶排泄反応 第一反応(弛緩)と第二反応(過敏)を経過すると、次に第三反応という排泄期に入ります。 排泄期というのは、体の老廃物や悪いものが体外に排泄される時期です。 この時期になると、例えば神経系統に故障のあった人は、皮膚にいろいろの変化が現れる。 汗がむやみに多く出ることもあれば、皮膚病のようになることもある。 呼吸器や泌尿器に故障があった場合も皮膚に変化が現れるが、ほとんどが発汗という形で経過する。 ともかく排泄反応期というのは、にぎやかであるが、排泄が行われる

外路系の体育・反応について⑵

⑵過敏反応 そのうちに体に皮膚の下を水が流れるような感じ、あるいは少し寒い感じがするようになる。体みに水が流れるような感じがするようになったら過敏反応の時期に入ったとみてよい。 そうなると熱が出てきたり、下痢をしたりしないで体中が汗ばんできたり、痛みが起こってくるというような、急性病に似た変動が起こり、稀には高熱の出る人も出てくる。 このような反応期を第二反応期といって、体中が過敏になると言う特徴がある。 例えば歯が痛いというような時には、弛緩反応に入る歯の痛み除れてしま

外路系の体育・反応について⑴

活元運動や相互運動をつづけていると、体が敏感になって、体に健康を保とうという働きが亢まるので、それに応じて、いろいろな変動が現われてきますが、それらをひっくるめて、「反応」と呼んでいます。 ⑴ 弛緩反応 初めだるくなり、眠くなって来る。体中が妙に疲れたような感じになってくる。けれども快い、どこかで快感がある。 それを第一反応(弛緩期)といい、この弛緩状態の時には、眠っても眠っても眠りたいし、実際にいくらでも眠れる。食欲もなくなってしまう。 ともかく食べるのを忘れるくらいにに

今あんまり言わなくなったことーその2

最近、大脳反射とか、ストレスとかいう学説が出てまいりましたので、いろいろな精神作用が、体にいろいろ影響を起こしてくるということは学問的に判ってまいりましたが、例えば、A氏はB女が嫌いでD女が好きだということは、大脳を解剖してみても、内分泌物を検査しても判らない。男は女を好悪するということぐらいしか判らないのです。学問が人間の実際生活に役立つことはもっと先のことでありましょう。 また同じ刺激で生じたストレスも、人により現れ方がみんな違う。 ある人は恋愛をすると食欲がすすむの

今あんまり言わなくなったことーその3

また他にもいろいろの問題があります。 例えば、心臓を研究する人は心臓ばかりを研究します。胃袋を研究する人は胃袋ばかりを研究する。そしてそれらを集めたものが人間の体だと思い込む。そこで、それぞれの知識をみんなで持ち寄れば人間が丈夫になるというように考えています。 けれども人間というものは、もともといろいろの部分が集まって出来たものではない。胃袋と心臓と肺臓と・・・いわゆる五臓六腑、四肢五体が集まって出来上がったものが人間ではない。 はじめは1箇の生殖細胞を作る以前のある働き

今あんまり言わなくなったことーその1

健康生活の原理と言っても、栄養をどうとれとか、睡眠は何時間とれとか、ということではありません。体と体の使い方の問題だけであります。体の問題と言っても胃袋がそうなるとか、肺がどうなるとか心臓がどう脈を打つとか、というようなことではありません。そういうような医学的な面での体のことは、皆さんの方がよくご存知だと思うからです。 私がお話しするのは、今までの学問的な考え方だけでは考えきれない体の問題なのであります。私たちの胸に中に肺臓と心臓があるということは、どなたもご存知ですが

「愉気」ということー二人以上の人間関係-2

人間の生活で親子兄弟は当然、仲良く暮らさなくてはならない。ところがお母さんに一言言われるとイライラしてくる、お父さんがそばに来ただけでなんとなく厭になってしまう、他人になら話ができるのに、兄弟では話し合うことができない、というようなことがざらにあります。そして自分では右を向うと思っているのに、理由もなく反発して左を向いてしまうということもまたよくあることです。 この間も、病気がなかなか経過しないで、だんだん重くなり、しまいには歩けなくなってしまった子供がおりました。小児麻痺

「愉気」ということー意志に背いて動いてしまう心-3

人間というのは言葉で言う前に、もう嫌いなものは嫌い、いいものはい、心配は心配、不安は不安と感じている。どんなに俺は平気だと思っていても、不安な人がいるとみんなに不安が伝わってくる。そして不安になっている人も、自分では不安になると考えてもいないのに不安になっている。自分が蒼くなって震えようとか、あるいは硬くなってものを言おうととか、そんなことは考えてもいない、けれども不安があればそうなってしまう。 この間も、有名な歌手で長年歌っているから、さぞ舞台度胸がいいだろうと思った

「愉気」ということー動く以前にある「気」-4

ある人がある人のそばに行こうとすると、その人もすっと近づいて来る。それは好きだという事を現している。あべこべに、すっと離れてしまう人がある。 嫌いだと言う、怖いと言う。父親の悪口を平気で言ってる子供がおりました。よく観ているのです。欠点も知っていれば、やることも知っているのですから、怖い理由がない。ところが親父がそばに来ると、ものが言えなくなって脇ばかり向いている。そして離れてしまう。 人間そういう「気」といいますか、心が動く以前に、体を動かす以前に、そういう「気」と

「愉気」ということー行動の元は漠としたもの-5

易者に占ってもらおうと思うことは、その前に自分でその易者を占っているのです。あの易者なら信用できそうだ、あの易者上手だろうと、自分の占いによって決める。その占うものは何かというと、「気」なのです。大道のいる易者の過去を精密に調べてそこに行くわけではない。なんとなしに「あの人なら大丈夫だ」、「あの人は嫌いだ」と思う。理屈ではない、後からつければ理屈はつくけれども、その前にあるなにかえでそう感じてしまうのです。 なにか漠と感じた事が人間の中心になって行動している。右の道へいこう

「愉気」ということー本能の中にある衛生の働き-6

判らないことの一番の王様は神様とか仏様とかいうものです。判らないけどそれがあるといわれ、信じるようにいわれるとその気になる。病気でも、悪魔でも、そういったようなものなのです。黴菌が人間を病気にしてしまうにだったら、大勢に人が集まって、その人の吐いた息を吸うことは恐ろしい。握手をするのも、接吻するのも怖くてできない。もちろんそれは不衛生なことですが好きだとやってしまう。しかしそのために病気になるとは限らない。 自分の中に黴菌を殺す力があるのです。天然痘に対する抵抗力でも、コレ