透明人間
先日、「ミセス・ハリス、パリへ行く」を鑑賞しました。公開されてすぐに映画館にも観にいったので今回は二回目。
好きな映画は何度も観ます。観る度に発見があったり、心に触れる部分が違っていたり。おもしろいなあと思います。
今回、わたしの心にするりと入ってきたのは「透明人間」という言い回し。ネガティブにも聞こえる表現ですが、全然そんなことはなくて。ミセス・ハリスも自分の家政婦の仕事に誇りを持って、この言葉を使っていたように思います。
こういう風な仕事をしたい、こういう店でありたい、と私の心のなかでふわふわと漂っていたものにぴったりの名前をつけてもらったみたいで嬉しくなりました。
あのお店にいくと、何でだか分からないけど、ざわざわとしていた心が凪いでいく、とか、何でだか分からないけど、あのお店の帰り道はちょっと背筋が伸びる、とか。
そんなのがいいな、といつも思っています。
「何でだか分からないけど」くらいがちょうどいい。
「縁の下の力持ち」っていうのも悪くないけれど。ちょっと肩に力が入りすぎて疲れる感じがするし、きっと優しい人たちは縁の下をのぞいて気を遣ってしまうから。やっぱり透明人間がぴったり。
…なんてことを考えながらエンドロールを見届けて、ほくほく気分でおふとんに入りました。(おふとんに入ったら10秒で寝ます)
そうして、翌朝仕込みをしていると和さんがやってきて、「透明人間っていい言葉だよねえ」と。
和さんとおなじ方を向いていられるから、わたしは楽しく気分良く、生きているんだなあ、と感じた朝でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?