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秋田ひろむの綴る"言葉のうらはら"

amazarashi――秋田ひろむの紡ぐ言葉は、人が自分ですら気づけない心の奥底にある不安や絶望を見つけ、詩に昇華する。
それが社会のはみ出し者たちの共感を呼ぶ。
それはまるで何も見たくなくて目を固く閉じた私たちの心の内を覗き込んだかのように、深く響く。

鼓舞が人を崖の淵の先へ

「頑張って」「一歩踏み出せば未来は明るいよ」――誰しも一度は耳にしたことのある、温かい励ましの言葉だ。
しかし、そういった言葉の裏側には、最も簡単に人を追い込む暴力性が付随していることを、自分の人生を持って学んだ人は少なからずいるだろう。

amazarashiの楽曲には、彼自身が生活を送る中で感じた社会の不条理や人間の心の闇のそのまた奥が綴られていることがある。
その一つが「軽率な鼓舞が人を救うとは限らない」だ。
それはこの詩から誰しもが知ることができる。

孤独な夜の断崖に立って 飛び降りる理由あと一つだけ

未来になれなかったあの夜に

あと一つ、何かの理由があれば飛び降りれる場所にいる人の背中を強く押したらどうなるか
答えは言わずとも解るだろう。
追い詰められた人間は、嘘のような小さな理由でいとも簡単に死を選ぶ。
そんな中、相手がどこに立っているかも見ずにどん、と背中を押したら。
その鼓舞は、とどめの一撃にすらなりうるのだ。

「夢や希望」持つ刃

「夢を持つことは大切」「希望を捨てなければきっと道が開ける」――これらの言葉は、一見すると励ましのそれだ。
しかし、amazarashiの音楽は、夢や希望が時に人を追い込む刃になることを、彼自身の生活をもってして詩う。

夢とか希望とか未来は 今の僕にとっては脅しだ
その類いの漫画 小説 映画 音楽は資源ゴミ
昔は夢もあるにはあった その夢が枕元でほざく
「おまえじゃ駄目だこの役立たず 特別と思うなゴミ屑」

風に流離い

恋人に振られ、自業自得だとは理解しつつも誰かに擦りつけたくなる空虚な怒りを抱え眠る夜に、届かない夢を追いかけることの虚しさ襲い来る。
この「生きてる死体」には見覚えがあった。
紛れも無い私だった。

また、夢や希望は、時に絶望を引き連れ私たちの目の前に現れる。

親父がよく言っていた 「絶望を連れてくるのは希望」
だって神様も悪人 希望を持たせるだけ持たせて
泣いても喚いても祈っても 最後に突き落とすのがその手口

穴を掘っている

彼の綴る詩は、私たちをこのような「言葉の裏の刃」に気づかせてくれる。
「つじつま合わせに生まれた僕等」という楽曲では、不条理で回る世界の中でぽつりと生きる私たちの姿がこのように描かれている。

誰もが転がる石なのに 皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年は ナイフを握り締めて立ってた
匿名を決め込む駅前の 雑踏が真っ赤に染まったのは
夕焼け空が綺麗だから つじつま合わせに生まれた僕等

つじつま合わせに生まれた僕等

それは虚しく孤独で、時に人に刃を握らせ罪へと追い立てる。
簡単に人を傷つけられるもの。
それはナイフも、夢とか希望と言った言葉も、一つの側面から見れば同じなのだ。

彼は今日も歌う


こんな時代だが、何度も悔いた生き損ないの人生だが、私は秋田ひろむの生きる時代に生まれてきたこと、それだけは幸運だったとすら思う。

今日も彼は歌うのだ。社会から爪弾きにされ、ぶら下がったロープの前に尻込みし、泣きながら眠る私たちのような人間へ
背中を押さず、夢も希望も口にせず、只々青森の地から、私たちの心の隣に腰かけて。
これを「支え」と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
ありがとう、amazarashi。


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