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『どこまでも、ひとりと一匹』 #ジャンププラス原作大賞 読み切り部門

もう、立てない。

それが地下シェルターに入って最初に感じた恐怖だった。
天井が低い。
2畳ほどのスペースしかないのもきつかったが、それは仕方ない。平均身長をひょろっと上回ったオレには天井の低さの方が問題だ。

首をうなだれていないと立てない。背筋を伸ばせない。窮屈。気持ち悪い。きつい。考え出すと苦しくなる。あと五センチ天井が高ければ……。


社会のことはわかんないけど、少し前にどの家庭もシェルターを確保せよという決まりができたようだ。
うちは母子家庭で家計も厳しいから、一番安いシェルターを分割払いで買ったのだと、ドア越しにかーさんが言ってた気がする。だから天井が低いんだ。
二年間引きこもってる間にオレの背は伸びたけど、それをかーさんは知らない。かーさんが知らなかったせいだ。かーさんのばか!

いつまでここにいなくちゃいけないんだ?
スマホがなくて情報がない。シェルターを開けた途端、溺死したり被曝したくはない。誰かが開けてくれるまで待つしかない。

オレは今13才。まだ背は伸びている。
考えてもどうにもならない。叫び出したいが、いったん叫んだら止まらなくなってしまいそうで唇を噛む。

「緊急警報、緊急警報!直ちにシェルターに避難せよ!」
突然鳴りだした恐ろしい音量のアラートにすっかり動転していた。かーさんは仕事に行っているからひとりで庭に出た。ずっと部屋で引きこもっていたせいか、外はやけに眩しかった。

スマホを置き忘れるなんて、どうかしていた。常に見続けていたものがなくて、どうやって過ごせばいいのかわからない。大勢の見知らぬつぶやきを読み続けていれば、自分のことなんて考えずに済んだのに。
今までの引きこもりとそう変わらないはずなのに、スマホがないだけでおかしくなりそうだ。

そしてなぜ、こんなものを持ってきてしまったんだろう。
目が痛むほど白い部屋であぐらをかいて、床に置いた金魚鉢を見つめる。何の特徴もないただの赤い金魚が一匹、ひらひら泳いでいる。つまらない。

2年前のお祭りでオレが取ったやつ。もう忘れていた。
玄関に置かれているのを見て、何故か持ってきてしまった。エサの箱までポッケに詰めて。その時多分スマホをその場に置いてしまったようだ。馬鹿すぎる。
金魚よりスマホだろ、自分!

◁□▷◁

あなたがあたしを見てくれた!!
こんな日がまた来るなんて!
うれしくて、私は出来る限り美しく、水中を舞いました。

2年前のあの日、あなたはあたしを救ってくれた。

あの日あたしは他の大勢の金魚とともに、大きな水槽に入れられた。過密で息が苦しい。ひとりになりたい。
揺れる水面越しにギラギラ輝くライトは不気味で、その後ろに闇があるのも怖かった。うんざりする喧騒、そして時々、謎の爆発音。

いやだ、もうここにいたくない!

その時、あなたの腕が伸びてきて、あたしを優しくすくってくれた。
大勢の中からあたしを選んで、あたしひとりを、すくってくれた。

ふわりと浮き上がる最中、また爆発音がした。
あたしは暗い空に花が咲いたのを確かに見た。綺麗、だった。

それからしばらく、黒い大きなものを背負ったあなたが、朝に夕にあたしの前を横切るのを見ることができた。
あなたはごはんもくれた。分からないけどなにか話しかけてくれた。あたしはとっても幸せだった。
でもそれから、あなたは全く見えなくなった。ずっと寂しかった。

また一緒にいられるなんて、ほんとにうれしい。

あ、あなたから、ごはんが降ってきた。

*****

棚を全て点検してみた。食料も水も何年分かあるようだ。
今日の分の栄養剤とビスケット。少量で腹が膨れる特殊なものらしいがなんとも味気ない。
金魚にもエサをパラパラしてやる。手についた独特の匂いは、嫌いなのに嗅いでしまう。金魚はばかみたいに口をパクパクしてエサを食べている。
あーあ、つまらない。犬や猫とか、せめて鳥とか。懐いてくれる生き物だったらよかったのに。
この金魚、オレのことなど自動餌やり機としか思ってないんだろうな。

棚はほとんどが食料だったが、少しだけ娯楽品もあった。大昔にオレが好きだった漫画、本、絵本。大量のノート、ペン、クレヨン。
絵本にクレヨンって!
かーさんがいれたんだろうけど、オレをいくつだと思っているんだろう。もう13だぞ。ばかじゃないのか。iPadくらい置いとけよ、ばかばかばーか!

早く帰ってこいよ、かーさんのばか。

寝袋にくるまって、寝られる限り寝てみた。この部屋と比べりゃ、悪夢のがマシだ。おなかが空きすぎて起きる。時計はあるけど朝か夜かわからない。もうどれだけここにいるのかも。

犬がいたら毎朝同じ時間に起こしてくれるのかな。ほっぺを舐めてくれてさ。
まずいビスケットをかじりながら考える。
金魚は起こしてくれない。
何か芸でも仕込めないかな。手を叩いたら、ジャンプして水から飛び出すとかできたらいいのに。
試しに手をポンと叩いてからエサをやってみた。すぐさま寄ってきてエサを食べる。食い意地ばかり張っている。

このあとどうすりゃいいんだ?
手で掴んでジャンプの真似させてみる?

いや、触っちゃだめか。人間の手で触るとやけどさせるって、ネットで読んだことある。ちぇ、つまんねえ。

オレはついにクレヨンを持った。ガキくさいと馬鹿にしていたクレヨンを。
だって全ての漫画も本も、絵本までも読んでしまって、暇すぎる。
絵なんて図工の時間に嫌々描くもんだったけど、まあやってみるか。

画用紙を広げたが、狭すぎる気がした。この白い部屋のように真っ白で無機質。
そうだ、壁に描いてやれ。目がチカチカするこの白さをなくしたい。
絵心のない自分が描けるものは……金魚鉢が目に入る。うん、一筆書きの魚の絵なら出来るな。金魚もたまには外に出たいかもだし、描いてやろう。

顔ほどの大きさの魚を一匹、赤で描いてみた。一筆書きの魚は、無限のマーク∞によく似ている。
無限、無限、無限……色とりどりの無限魚が壁を彩った。
無限と永遠って同じだっけ……わからないままただただ手を動かした。

◁□▷◁

あなたがこちらを見る気配を感じ、あたしは急いで端まで近づいた。手をぽんと叩く音がする。
そんなことしなくても、あたしすぐわかるのに。
大丈夫わかってるよって、くるりと一回転をしてみせたのに、あなた気づいてくれなかった。

あなたは壁に絵を描きだした。ここからではぼやけてるけど、あれは、さかな? カラフルで綺麗。あたしの仲間を作ってくれたつもりかしら?
あたしはあなたと二人だけがいいのだけれど。


*****

四方の壁と天井を無限魚だらけにして、オレの仕事は終わった。腕が痛いが達成感。幼稚園児のような絵だけど、真っ白よりずっといい。
金魚にエサをやりつつ悦に入っていたが、ふと嫌なことを思い出した。

この金魚を釣った祭りに、オレはかーさんと二人で行った。小学5年の時。金魚がとれて無邪気に喜んだ。混雑していたからかーさんと手をつないで歩いた。片手は金魚の袋をぶら下げつつ。楽しかった。

それをクラスの女子たちに見られていたらしい。
翌日、馬鹿にされた。マザコンだと言われた。キモいと言われた。やっぱ片親だからと言われた。

くだらない、ちっぽけすぎる悪口。
こんな些細なことで傷ついたと思われたくなくて、誰にも言えなかった。かーさんにも、絶対。
どんどん学校に行くのがきつくなってきて、ズル休みすると再び行くのがもっときつくて、とうとうオレは不登校になった。

人の体験談だとしたらくだらなすぎるのに、自分のことだと今も痛い。

◁□▷◁

壁の魚たちは塗りつぶされ、真っ黒になっていった。あなたは取り憑かれたようにがんばって塗っていて、あたしのごはんをずいぶん忘れていたけれど、でもいいの。ずっと応援してた。

そうしてどこもかしこも真っ黒になったあと、あなたは長いこと丸まって寝ていた。あたしも一緒にうとうとしていたら、突然あなたの手が水に入ってきて、驚いた。

そしてあたしを触ったの。花びらでも触れるように優しくそっと。
痛みを超える歓喜があたしを襲った。こんな歓びがあったなんてね。

手が去る間際に、あなたの爪があたしの背びれをチリリと裂いた。
それも、うれしかった。消えない跡がついて。

それが毎日、繰り返されて、今やあたしのヒレは繊細なレースのように綺麗になっているはず。

*****

いけないと分かりつつ、金魚を傷つけてしまう。やり切れない思いが、自分以外の唯一の生き物である金魚に向かう。
金魚のヒレは、ほつれた雑巾の端のようにボロボロで汚らしくなった。

怖がれ、オレを怖がれ!
オレの存在に反応してほしい。懐けないなら怖がってほしい。

それなのに、エサをまこうとすると相変わらずすぐに寄ってくる。
馬鹿みたいにエサを食べている。
結局オレは餌やり機でしかないのか。どこまでもひとりと一匹でしかないのか。

黒い部屋で苛立ちばかり募る。

金魚のエサが尽きた。
ボロボロで弱った金魚をオレは口に含んだ。
食べられそうになる恐怖なら、さすがに金魚でもわかるんじゃないか。


◁□▷◁

禁断の関係が度を超えたせいか、そろそろ天に召される日が来そうです。
目を閉じて水にたゆたっていたら、ふわりと体が浮かんだ。

え?

あなたがまた、あたしをすくってくれた!
そしてあなたの口の中へ。

すごい!こんな素敵な終わり方があったなんて。

いえ、終わらないわ。あなたの中で生きていくわ。
どこまでも一緒に。

あたしは最後の力をふりしぼって、あなたの奥に潜っていった。
すくってくれてありがとう、ありがとう、ありがとうね。


*****

うぐぐっ……っは、はぁ、はぁ。
抵抗して暴れた金魚を、あやまって呑み込んでしまった。
くそっ! そんなつもりなかったのに。気持ち悪い。

くそっ!! ほんとにひとりになってしまった。

真っ黒い壁に両手をつける。
もう嫌だ、もう無理だ、もう、自分もおしまいにしよう。
両手の爪で壁を引っ掻いていた。

黒いクレヨンが剥げて爪が真っ黒になった。痛い。もううんざりだ。

が、壁を見たら、綺麗だった。塗りつぶされていた無限魚の一部がまた現れた。まだそこにいたのか。
カラフルだった。

赤、青、黄色、緑、紫、ピンク……。

夢中で壁を掻きむしる。
そうだ、小さい頃かーさんとクレヨンでこんな遊びしたっけ。
そうだ、いろんな色の上から黒を塗って、引っ掻いて、二人で描いたのはいつもこの絵だった!

黒い部屋の天井まで、全面に打ち上がった花火。
あの日手を繋いで見た花火のように綺麗だった。


もう少し、生きてみるか。
この部屋で、自分のために自分で何か作りながら。

おなかの中で金魚がくるりと回転した気がした。優しくうなずくように。





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うめがき たね
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