Chapter1. フィブリン研究史概説①
第一章:フィブリン(凝血塊洗浄分離法、血液ホイッピング方法)の性質/血液のフィブリン/フィブリン性微小発酵体/フィブリンと過酸化水素水/フィブリンの発酵素
ゲイ-リュサック とテナール が、アルブミン・カゼイン・ゼラチンでの分析手法を転用してフィブリン解析に着手した。テナールはフィブリンを動物質の分離物と述べた。一方のシェヴルール は、フィブリンは動物の近成分 だと述べている。テナールは、過酸化水素水の発見後、肝臓を始めとする有機的組織 と同様、フィブリンが過酸化水素水を分解して酸素を放出する現象を発見し、驚きを隠せなかった。氏はフィブリンがこの特質を備える唯一の近成分だとすら想像した。
フィブリン史においてこの事実は重要である。第一に、近成分とされるこの物質が、シェヴルールの云う「有機体 」の類だと証明する上で基軸となる為であり、第二に、数々の生理学者と化学者に等閑視された血液中の第三の解剖学元素の存在を私に確信させるに至った為である。
私は、フィブリンが有機的組織と同質の物質と証明しようと企図したのではない。私もまたフィブリンは近成分だと考想した。時の化学がアルブミンの凝固形態に過ぎないと強弁する最中、私はその特異性に執心していた。
フィブリンの本質、及び血液の第三の解剖学元素発見に至る前章譚
古代人は、動植物質が腐敗や発酵の過程で自然変質する事実を好意的に捉えていた。18世紀、化学者マッケル がこの自然な物質変化の条件を確立した。水、空気との接触、一定の熱量である。長年月が経ち、1837年、カニャール・ド・ラトゥール が、ビール酵母は組織的存在 であり、発酵現象とはその植生の作用だと示唆した頃、新構想の汎化に挑むシュワン はある証明に専念していた。曰く、
その発酵体の起源をスパランツァーニ の再来となる古の空中胚種 仮説に帰した。
だが、数多くの重要な検証も空しくシュワンの見解は支持を得なかった。変質の過程にある物質に有機的生成物 が発生する事実は容認されるも、方やその組織的生成物 の発生とは独立に物質変質が先んじて生じると譲らず、方やカニャール構想を支持する者達から生命体(発酵体)の自然発生が主張された。
シュワンの見解、そして空中胚種仮説は完全に棄却された末に、1848年には水溶液中の甘蔗糖が常温で転化糖(ブドウ糖)へと自然変質することが公認となった。本当だろうか?甘蔗糖の転化はビオ の報告通り、強酸の影響下で生じる化学的加水分解の産物である。常温水の経時的作用だけで可能であろうか?信用に値する事実を追求するべく、私は1854年から1887年迄継続する一連の実験に着手した。最重要の結果が数多く得られた。中には、スパランツァーニに追従するシュワンが生命自然発生説への反駁を意図して復活させた空中胚種仮説を初めて実験的に確証したものもある。
私の証明は端的に以下の通りである。
甘蔗糖溶液は、以下二条件いずれかの下、常温で不変である
空気との接触の完全な遮断
接触空気量の制限下、特定の塩、或いは適量(少量)のクレオソートを点滴(例:1~2滴/100cc)
純粋溶液ないし特定の塩を添加した同溶液に同量の空気を接触させると、隠花植物や黴等が出現し、同時に糖の転化が生じる
黴は実際上の転化の発酵体であり、必要なザイマス(可溶性発酵素)を分泌する
クレオソートは黴の発生を阻害するが、発生した黴の転化は抑制しない
甘蔗糖の転化の原因である隠花植物や、何等かの組織的かつ有機的存在が水や糖自体から誕生する筈もなく、一連の実験が空中胚種仮説を実証したという結論は不可避である。
甘蔗糖が近成分とすれば、この実験は同時にマッケル条件の下で不変の有機物の存在の初の実証でもある。
この実験を般化させるには、甘蔗糖以外の近成分でも確証されねばならない。特にアルブミンは易変質性物質だと想像されており、コリン はアルブミンがアルコール発酵素へ自然変質すると確信する程である。だが、甘蔗糖の如き近成分の溶液、或いはアルブミノイド物質が一部溶解したその混合溶液がある。この溶液にクレオソートを極微量添加すると、僅かに空気と接触していようと保存される。組織的存在も出現せず、故に発酵も腐敗も発生しない。しかし、その混合物の成分に空気中の酸素に直接酸化を受ける物質がある場合、クレオソートが酸化を阻害することはない。