Chapter0. Author's Preface②
ガリレオの時世から二世紀後の人類は、物質に関して未だアリストテレスの仮説の支配下にあり、ここに錬金術の変成仮説や、スターヒリオンのフロギストン仮説が加勢した。物質自身が生物に変化し、動植物の如く意思を宿すものと甘受されていた。生命の自然発生説が依然として遍く是認されていたのだ。
シャルル・ボネ(Charles Bonnet)自身が、組織化こそ物質の最高級の変化だと述べている。しかし、この学識ある自然学、哲学者は、自然発生説への反論に、まずはカプセル化仮説、そして予存の偏在性胚種仮説(pre-existing germs universally diffused)を提唱した。後者の説は、ロンドン王立協会会員の自然発生論者ニーダム(Needham)の実験に対し、その反証としてスパランツァーニ(Spallanzani)が考案したものである。一方、ニーダムを支持するビュフォン(Buffon)がボネの胚種構想より偏在性に劣る有機分子仮説を提唱した。曰く、この有機分子とは「生の物質」である通常の物質と区別され、動植物の成長を説明し、生命の自然発生説の補完となるものである。
発酵現象と発酵素は至極単純に解釈されていた。1772年、マッケル(Macquer)が、生体組織から抽出された動植物質は、水、瞬間的な微量の空気との接触、熱量の揃った特定の条件下で自然変質を起こし、発酵し、発酵素を産生しつつ腐敗すると発表した。
その原理の下、水は大地に、大地はポプラに、筋肉が液体になり血液を産むものとされた。
ラボアジエ登場以前、この件に関する科学は端的に斯くの如き有様であった。ラボアジエ理論では単体以外の物質は存在しない。それは重く、意の儘には破壊できず、物体間の多様な結合の変移や状態変化、同素体変化などを経ても常に同じ姿を現す。その現象の説明には錬金術的変成もフロギストンの概念も必要ない。
この理論では、物質は鉱物に過ぎず、単体は本質的に鉱物である。生きた物質も動物的な物質も存在せず、本質的に有機的な物質など存在しない。ラボアジエの時代から長年月、化学者が有機物と呼ぶ物質は、炭素・水素・酸素・窒素、時に硫黄・リン・鉄等が同時に結合し、常に炭素を骨格に持ち、それらの様々な比率による無数の組み合わせに過ぎず、従って現代化学における有機物とは、炭素と上述の単体との多様な結合物に過ぎない。
事実、ラボアジエは、水が大地に、大地が植物に変化などしないと証明し、更に植物は空気を栄養源とするとまで主張し、後に確認された。遂には、動物が生存に必須の栄養素を植物が合成すると証明したことで、動物は植物を栄養源にするとまで主張したのだ。呼吸に至っても、有触れた酸化現象に過ぎなかった。動植物質は炭素・水素・酸素の結合物に過ぎず、動物にはここに窒素が加わる。ここで、これらの物質の腐敗と発酵に関するラボアジエの思考を簡単に振り返ると、非常に興味深い。
彼は、葡萄果汁や林檎果汁が自らが発酵によりワインやサイダーに変化することを心得ており、以下の式を書き残した。
葡萄=炭酸+アルコール
これを証明するべく、彼が植物性酸化物と呼ぶ砂糖と、水、発酵素の実験を行った。以下はその実験記録である。
以上より、ラボアジエが醪の代わりに以下の式を遺した可能性は明白である。
砂糖=炭酸+アルコール
ラボアジエは酵母と発酵素の機能を説明する機会を窺っていたが、その機会は頓挫した。しかし、1788年出版の「化学要論」では、酵母が四元系窒化物であること、発酵後はその窒素量が減少し、アルコール以外に微量の酢酸が生成されることを立証していることが分かる。また、蒸留後に、砂糖の約4%に相当する固定残渣を発見した。この発見の重要性は後述する。
その後のラボアジエが、動植物質の腐敗発酵現象を、物質(単体)の構成成分同士の「極めて複雑な親和性から生じる作用」とし、この作用で平衡状態が崩壊し、別の化合物へ再構成されると説明したことは予想の範疇であろう。
1802年に31歳の若さでこの世を去ったビシャは、ラボアジエの研究に強い衝撃を受けていた。単純元素から成る純粋化合物の生物論を許容できなかったのだ。その後、生命体における唯一の活性部位は組織の集合体となる諸器官にあると考え、化学が純物質を化学元素へ分割する如く、組織を二十一種の基本的な解剖学元素に区分した。これが、ラボアジエ理論が生理学的解剖学に及ぼした最初の影響である。そして1806年Philosophie Chimique第3版でフールクロワ(Fourcroy)が以下の言葉を残した。
何と素晴らしく斬新な表現だろう!化学者ながら新理論に結集したフールクロワは、ビシャと同様に医師であった。
ビシャが、ラボアジエ物質理論から新たな生理学原理を導き出したことを念頭に置かれたい。ガリレオが"There is nothing but what ought to be "という形而上学的原理を打ち立てた如く、デュマは、ラボアジエ論文の発酵の章から以下の重要な原理の着想を得た。"Nothing is created , Nothing is lost "
ここまで、19世紀初頭の化学と生理学の関係性、発酵問題の状況を拙速に描写してきたが、次に、その後の半世紀初頭、例えば1856年頃の状況を見ていこう。
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