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Chapter5. 血液と循環系②(了)
↓の続き
私は、正真正銘の近成分と水の如何なる混合物もその人工天然を問わず自然変質せず、一切の生物も発生させない事実を明々白々に実証し、原形質構想やパスツール氏への反論とした。端的に、近成分は持続的転換の過程になく、その能力も持たないのである。そして、仮にその混合物の中で一部のザイマスが煮沸により「転換力」を破壊され、ザイマスの自然発生が確認されないとすれば、それはザイマスが生体組織の生成物の為である。畢竟、混合物に空気中の酸素吸収を経て酸化する近成分が存在する場合、この成分自体は、ザイマスの反応を介した生体組織の生成物である。私は、純粋近成分の混合物とされた乳汁が自然凝固する条件を研究する最中に、この全てに確実な証拠を提示した。空中胚種の影響の予防措置に適量のクレオソートを添加し、空気接触を完全に遮断しようと牛乳は先ず酸敗し、凝固する。その後ビブリオ属が発生する。血液実験で紹介した濾過法により、クレオソート処理牛乳に浮遊する小球と乳汁微小発酵体を全て完全に除去した後の透明溶液に残存する近成分は同条件下で酸敗せず、故に凝固もビブリオも発生しない。濾過で除かれた解剖学元素に「転換力」が宿り、濾過分のそれ以外の部分にない点より、後者は恐らく乳汁の生理的血清と呼べるだろう。
乳汁の生理的血清は再生芽や原形質と共通組成を持ち、当然ながら不変であり、従って生きてはいない。
これは血液の第四の部分にも該当する。そこで血液の生理的血清と呼ぶことにする。乳汁の解剖学元素が自然変質の原因因子である所以が当に生きている為である通り、従って血液の解剖学元素が、次章で証明される通り幾つかの点で血液自然変質の原因因子である。だが先ずは血清の生理学上の役割を確定せねばならず、この血清により、循環血液や出血後における解剖学元素や血球、分子顆粒の存在条件が実現されるのである。
ビシャの構想に準ずる解剖学元素の「存在条件」とは、その被包構造、その内容物の完全性と、その物理的存在が同時に維持されることであり、その組成が不変のまま保存されることと理解する。これは、その物理的存在が棲息する培地の中に、その滋養に必要な全ての材料が見出される場合にのみ可能となる。
赤血球を例に挙げよう。是迄の通り、血液を一定量の水に浸漬させると、血球内の水溶性の内容物が被包の完全性を維持したまま浸透圧により分散する。一方、同じ血液を、その数倍体積量の飽和硫酸ソーダ液に浸漬すると、血球は被包も内容物も完全に維持される。血液を自身の血清に浸漬しても、血球は変質せず、色素物質が溶解する痕跡もない。これは分子顆粒もまた同様である。即ち、仮に血液のアルブミノイド雰囲気が、浸漬した飽和硫酸ソーダ液にその極一部が一過性に溶解しようとも、前述の通り血清には確実に不溶性であり、分子顆粒もまた血球と同様に個々に完全性と独立性を維持している。これこそ、循環系における存在条件の一つを成している。
だが循環系や、血管と血管内成分の相互影響を理解するには、暫し発生学への迂回が不可避である。
家禽の解剖学元素や諸器官の形成における卵黄微小発酵体の機能の確認を目的とする発生学的研究で、エストールと私は、血管系を構成する容器と内容物は、卵黄の微小発酵体や非組織的物質~微小発酵体同士の間に充満する物質:微小発酵体架橋培地 ~の作用を受けて同時に発生し、同時に発達すると示した。循環系が確立する前の胚内部で血球が確認できたことはなく、確立と同時に形成される。従って血管組織の解剖学元素や、その内部に収容される血液の解剖学元素は、卵黄の非組織的物質に構築者として存在する卵黄微小発酵体の作用により同時に誕生する。故に、胎児の血液血清は、血球や顆粒と同時に誕生し、その起源を卵黄の非組織的物質に持つと結論される。畢竟、容器と内容物は同時に誕生し、同時に発達し、同時に将来の在るべき姿へと変化するのである。
血液研究は血液自体のみならず、細胞や器官の内容物とその被包との関係性の如く、血管との関係性で追究される必要がある。血管系の被包構造は動脈、静脈、毛細血管の様々な組織で構成される。また、血管系が心臓や肺、肝臓等に直接的な関係性を持つ事実、リンパ管(胆管)が血管系と直接連絡する事実を失念してはならない。そして、細胞や諸器官の内容物が容器の存在無しに存在し得ないように、血液もまた血液を収容する血管無くして存在し得ず、血管系全体は、生体内の各所へ多少なり直接的に関係する一つの器官を形成している。そして血管系各領域の容器の解剖学的組成に何等かの相違があれば、その内容物にもまた相違が観測されなければならない。血液の色合とは独立に、動脈血の方が静脈血より酸素が多く、炭酸が少ない。複数の領域で、白血球数に対する赤血球数の割合に相違が観察されている。 レーマン は、肝門脈血のホイッピングでフィブリンが分離される場合、この手段で肝上静脈血からは分離されないことを観察し、これは後述の通り、両者の微小発酵体分子顆粒に何等かの相違がある事実を証明しており、またデュニが既に、動静脈血のフィブリンは同一ではないと指摘している。
結果的に、生体の如何なる部位の由来であれ、自律的かつ個別的に生ける存在と確信される解剖学元素は、その部位に存在条件の自然な充足が見出される為が故にその場に存在することが生理学的に明白である。だが血液は事情が異なる。解剖学元素の存在条件は、血管内の循環経路の各点で充足されるのみである。
通説では、解剖学元素はリンパ液(サンギニス液/血漿)を浮遊している。ミルン=エドワードを例に、フィブリンの微細な分裂状態での予存を認めた学者達は、フィブリンもまた血清に浮遊していると述べた。解剖学的に、血液の三種の解剖学元素と第四の部分との相互関係をこのように想像し続けられようか?また、循環経路の各点で分子顆粒と血球が互いに殆ど接触して存在するとの表現は正確であろうか?第四の部分である血清は、これら解剖学元素の直接的な接触を阻害する細胞間・顆粒間物質に過ぎず、これは他の組織での解剖学元素同士の間隙にその存在が認められる状況に類似する、との表現がより正鵠を射るのではないか?だがこの関係性が血管内の血液に事実として存在するならば、血液とは溶液ではないのみならず、脾臓、肝臓、腎臓組織の如き多少の弛緩性を呈す組織と言わねばならないのではないか?血管内の組織は遥かに軟性が高い、唯それだけである。従って、血液は「流体組織」と言わねばならない。
血液組織の流動性は同時に、ゲル状と称される軟質性や、細胞間液が絶えず被包の潤滑液となる為に生じる血球の弾力性、微小発酵体分子顆粒を構成する膨潤したアルブミノイド雰囲気~その密度が血清にほぼ近似する~が呈す強力な軟質性、血球や分子顆粒の細胞間液に対する絶対的な不溶性と関係しており、これが改めてその個別性と独立性に寄与している。解剖学元素が一般に示す不溶性は、血管系の解剖学元素による栄養機能の産物である極めて複雑な細胞間液成分の安定性と起源、および同時に循環系が関係する多様な器官、特に呼吸器系から供給される物質により、循環経路の各点で保証される。
出血直後の血液は血管内の血液と同じ流体組織と見做せる。だが既に重大な相違点がある。即ち、流血は動静脈血だけでなく、あらゆる領域にある血液の混合物であり、その解剖学元素は生理的条件と全く異なる新たな存在条件へと乱暴に晒されることになる。
この存在条件の変化が、凝血現象ならびにその後の変質を如何に迅速に決定するかを見ていこう。
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